序論:なぜ私たちは、100年以上前の思想家の亡霊を呼び覚ますのか
2024年、日本の最高額紙幣の肖像が、思想家・福沢諭吉から実業家・渋沢栄一へと交代する。この象徴的な出来事は、単なるデザインの変更に留まらない、現代日本社会に対する静かな、しかし根源的な問いを投げかけている。すなわち、「我々が拠って立つべき資本主義の原理とは何か?」という問いである。
こんにちは。リベラルアーツeスクール「リベラーツ」の専任教員の「🚙いとばや先生」です。私たちのスクールには、日々の社会の最前線で格闘しながらも、その実践の根底にあるべき理念や思想について、深く思索を巡らせたいと願う30代から50代の知的な探求者が集っています。
本稿の目的は、渋沢栄一とその主著『論語と算盤』を、歴史上の偉人伝として陳列することではない。むしろ、彼の思想を現代という法廷に召喚し、その有効性と限界を徹底的に吟味することにある。とりわけ、株主資本主義の論理が隅々まで浸透し、生成AIが「知識」の価値を根底から揺さぶる現代において、渋沢の掲げた「道徳経済合一説」は、我々が直面する課題への処方箋となりうるのか。あるいは、それは過ぎ去りし時代の理想論に過ぎないのか。
この知的探求の旅に、どうか最後までお付き合いいただきたい。
第一章:渋沢栄一とは誰か―「近代」という巨大プロジェクトの設計者
渋沢栄一を「約500社の企業設立に関わった実業家」と要約するのは、彼の本質を見誤る危険を孕んでいる。彼は単なる起業家ではない。むしろ、幕藩体制という古いOSをアンインストールし、国民国家と資本主義経済という新しいOSをインストールするという、明治日本が対峙した巨大な国家プロジェクトにおける、「社会経済システムのグランド・デザイナー」と呼ぶべき存在である。
彼の生きた時代は、混沌と可能性が渦巻いていた。ペリー来航による二百数十年続いた泰平の終焉、尊王攘夷の熱狂、そして大政奉還。渋沢自身も、当初は幕府を打倒せんとする攘夷志士であったことは、彼の思想の原点を理解する上で極めて重要である。彼が仕えた一橋(徳川)慶喜の弟・徳川昭武の随員として参加したパリ万国博覧会で、彼は西洋文明の物質的な豊かさだけでなく、その根底にある「株式会社(ソシエテ・アノニム)」や近代的銀行システムといった、社会全体の富を創造・循環させるための「仕組み(インフラストラクチャー)」の重要性に開眼する。
帰国後、彼は明治新政府に大蔵省の役人として仕えるが、やがて官を辞して実業界に身を投じる。ここに、彼の思想の第一の問いが立ち現れる。なぜ彼は、「官」による上からの近代化ではなく、「民」の力によるボトムアップの国づくりを選んだのか? そこには、国家主導の富国強兵だけでは、真に持続可能な社会は構築できないという、彼の鋭い洞察があった。国民一人ひとりが経済活動の主体となり、自らの才覚で富を築く。その無数の私的活動の総体が、結果として国家の繁栄(公益)に繋がる。このビジョンを実現するための器として、彼は株式会社という仕組みを日本に根付かせようと奔走したのである。
第二章:『論語と算盤』の思想的革新性―「士魂商才」を超えて
渋沢の思想的格闘の核心は、彼の代名詞でもある『論語と算盤』、すなわち「道徳経済合一説」に集約される。この思想がなぜ「革新的」であったのかを理解するためには、当時の日本社会を支配していた強固な価値観を理解せねばならない。
江戸時代の身分制度(士農工商)において、「武士(士)」は精神的・道徳的価値を担う支配階級であり、利潤を追求する「商人(商)」の活動は卑しいものと見なされていた。この「義(道徳)」と「利(利益)」の二元論は、明治維新後も人々の意識に深く根付いていた。
渋沢は、この硬直した価値観こそが、日本の近代化を阻害する最大の要因であると喝破した。彼は孔子の『論語』を、単なる修身の書としてではなく、経済活動に従事する者が持つべき普遍的な倫理規範として再解釈したのである。
「富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができない」
この言葉は、単に「儲けるときも倫理的にあろう」という消極的な教えではない。むしろ、「倫理的であることこそが、持続的な利益創出の唯一の道である」という、より積極的で、戦略的な思想なのである。彼は、道徳なき経済はやがて社会からの信頼を失い崩壊する「強欲資本主義」に陥り、逆に、経済活動を伴わない道徳は社会を変革する力を持たない「空理空論」に過ぎないと断じた。
ここに、第二の学問的な問いが生まれる。渋沢が提唱した、企業の所有と経営を分離し、個人の利益だけでなく社会全体の利益を追求する「合本主義(がっぽんしゅぎ)」は、アングロサクソン型の株主至上主義とは明確に一線を画す。これは、儒教文化圏に固有の「日本的資本主義」モデルと見なすべきか、それとも、現代のステークホルダー資本主義やESG経営にも通底する、普遍的なオルタナティブ・モデルと捉えるべきか? この問いは、アジアの歴史と現代国際関係を専門とする本校のいささん先生**が探求する、文化や歴史が経済システムに与える影響というテーマと深く共鳴するものである。
第三章:現代的射程―30代・40代のビジネスパーソンは『論語と算盤』をどう「使う」べきか
この19世紀の思想を、21世紀を生きる我々はいかにして「思考の道具」として活用しうるのか。キャリアステージごとにその射程を考察する。
30代のビジネスパーソンへ:キャリア資本を築くための「意味の羅針盤」として
専門性を高め、組織の中核を担い始める30代は、同時に「この仕事に、社会的な意味はあるのか?」という根源的な問いに直面する時期でもある。日々のKPI達成に追われる中で、仕事が単なる「ライスワーク(食べるための仕事)」から、自己実現を目指す「ライフワーク」へと接続されない感覚。この「意味の喪失」こそが、現代の働く個人を苛む深刻な病理である。
『論語と算盤』は、この問いに対して「汝の仕事の『公益性』を定義せよ」と迫る。あなたの業務は、顧客、取引先、地域社会、そして未来世代に対して、どのような価値を提供しているのか。その「公益性」を、組織の言葉ではなく、あなた自身の言葉で物語ること。このプロセスは、文化人類学が「ナラティブ(語り)」と呼ぶ、自己の経験を意味づける行為そのものである。本校のいとばやは、異なる文化や価値観を持つ人々の「語り」を質的に分析する専門家だが、この手法は、自らのキャリアという「文化」を客観的に捉え直し、再構築する際にも極めて有効である。
渋沢の思想は、抽象的な社会貢献を謳うものではない。自らの「算盤(専門性やスキル)」を磨き、利益を追求する活動の先に、いかにして「論語(社会全体の幸福)」を見出すか。この視座を持つことこそが、AIに代替されない、あなた固有の「キャリア資本」を形成する礎となるのだ。
40代・50代のリーダーへ:複雑な意思決定を導く「倫理的判断力」の源泉として
管理職や経営層として、より複雑で正解のない問いに対峙する40代・50代。事業の収益性とサステナビリティ。イノベーションの追求と雇用の維持。短期的な株主の要求と、長期的な社会からの信頼。これらのトレードオフ(二律背反)は、単純なロジックやデータ分析だけでは最適解を導き出せない。
ここに、渋沢の思想が現代のリーダーに突きつける、第三の問いがある。「その意思決定は、『論語』の価値観に照らして、胸を張れるものか?」
現代経営学の文脈で言えば、渋沢は「パーパス・ドリブン経営」の先駆者であった。企業の存在意義(パーパス)を「公益の追求」に置き、そこから全ての事業戦略が派生する。この軸があれば、複雑なトレードオフに直面した際にも、単なる功利計算に陥ることなく、より高次の判断が可能となる。
しかし、ここで立ち止まって批判的な視点も導入せねばならない。渋沢が依拠した『論語』という個人の内面的な徳は、現代の複雑なコーポレート・ガバナンスにおいて、果たして有効な抑止力として機能しうるのか? 個人の倫理観に依存するモデルは、組織的な不正や構造的な問題を前にして、脆弱性を露呈しないだろうか。システムとしての法規制や外部監査といった「外的規律」と、個人の内面にある「内的規律」は、どのように接続されるべきか。これは、現代の経営倫理が直面する、極めて重要な論点である。
結論:思想を「学ぶ」から「使う」へ―あなたのためのリベラルアーツ
本稿では、渋沢栄一の『論語と算盤』を、現代社会と個人のキャリアという二つの視座から再検討してきた。彼の思想は、決して過去の遺物ではない。それは、利益一元論に傾きがちな現代資本主義に対して、人間性と社会性を回復するための、力強い知的資源である。
しかし、渋沢は我々に安易な答えを与えてはくれない。彼の思想はむしろ、我々一人ひとりに対して、「あなたにとっての『論語』とは何か?」「あなたの仕事における『公益』とは何か?」という、重い問いを突きつける。
この問いに、独りで向き合う必要はない。リベラルアーツeスクール「Liberarts」は、まさにこのような根源的な問いを、多様な専門性を持つ講師や、同じ問題意識を持つ仲間たちとの対話を通じて探求していく「知のジム」である。
知識をインプットするだけの「消費」の学びは、生成AIが代替するだろう。これからの時代に求められるのは、古典の知恵を現代の課題に接続し、自らの血肉としていく、主体的な「投資」としての学びである。
もしあなたが、自らの仕事と人生に、より深く、確かな「意味の羅針盤」を求めるとするならば、その旅は、渋沢栄一という巨人の肩の上から始めるのが賢明かもしれない。
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知識は、対話を通じて初めて実践的な知恵へと昇華します。リベラルアーツeスクール「Liberarts」では、そのための最適な環境を用意しています。まずは、渋沢栄一の思想の本質に迫る体験講座「渋沢栄一入門:『論語と算盤』はいかにして日本資本主義を設計したか」へお越しください。本稿で提起した問いについて、講師や他の受講生と共に議論を深める、知的に刺激的な時間をお約束します。

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