沖縄・琉球の知恵
はじめに:なぜ、王は聖地へ行かなくなったのか?
青い海に浮かぶ「神の島」、久高島(くだかじま)。 琉球王国の歴史を知る人ならば、この島が五穀発祥の地とされ、歴代の国王や最高神女・聞得大君(きこえのおおきみ)にとって、魂のルーツとも呼ぶべき絶対的な聖地であったことをご存知でしょう。
しかし、1673年(延宝元年)を境に、琉球国王はこの島への「行幸(巡礼)」をぷっつりと止めてしまいます[伊從 2010]。 以後、王は対岸にある聖地・斎場御嶽(セーファウタキ)から、海の向こうの島を「遥拝(リモート参拝)」する形式へと切り替えました。
なぜ、最高権力者は、自らの権威の源泉である現場(聖地)への「出張」を取りやめたのでしょうか? 単なる財政難か、あるいは海難事故への恐れか。 もちろん、そうした実務的な理由もあったでしょう。しかし、近年の研究が明らかにしつつあるのは、そこにもっとしたたかで、高度に政治的な「信仰の編集(Editing)」の意志が働いていたという事実です。
新講座『琉球の聖地とポリティクス:祈りはなぜ「編集」されたのか』は、この歴史的な謎を入り口に、沖縄の信仰を「個人の素朴な祈り」としてではなく、国家や組織を運営するための「統治システム」として読み解く、意欲的なプログラムです。
本稿では、この講座がこれまでの「沖縄研究」の中でどのような位置を占めるのか、そして、なぜ今、現代のビジネスパーソンがこの「歴史の編集プロセス」を学ぶべきなのかを、4つの視点から深掘りします。
1. 沖縄研究の転回:「変わらないもの」から「変わっていくもの」へ
「古層」への憧憬を超えて
かつて、沖縄(南島)の研究といえば、柳田國男の『海上の道』や折口信夫の『古代研究』に代表されるように、日本本土では失われてしまった「古代の姿」や「原形」を沖縄に見出そうとする民俗学的アプローチが主流でした[赤嶺 2020: 120]。 彼らは、沖縄を「日本文化の古層が冷凍保存された場所」のように捉え、御嶽(ウタキ)やノロ(神女)の中に、日本人の魂の故郷を探しました。それは美しいロマンティシズムであり、沖縄文化の価値を中央に知らしめる上で大きな功績を残しました。
しかし、この視点にはひとつの陥穽(かんせい)があります。それは、沖縄の社会や信仰を「変化しないもの」「静的な伝統」として固定化してしまう危険性です。
「政治性」と「動態」への着目
本講座が依拠するのは、そうした「変わらない沖縄」という神話に疑問を投げかける、近年の歴史学や社会人類学の成果です。 例えば、比嘉政夫は、沖縄の民俗事象を日本文化の源型としてだけでなく、地域的な差異や歴史的な変容を含んだものとして体系化する必要性を説きました[比嘉 1996]。 また、赤嶺守は『琉球王国』において、琉球が日本と中国という二つの巨大な磁場の間で、いかに主体的に国家を運営し、変容させていったかを描き出しました[赤嶺 2004]。
本講座は、この「動態的な沖縄研究」の系譜に連なります。 私たちは、聖地や信仰を「太古から変わらぬ聖域」として崇めるのではなく、「時代の要請や政治的な圧力によって、絶えず書き換えられ、編集されてきたシステム」として冷徹に分析します。 そこに見えてくるのは、神秘的なヴェールを剥ぎ取られた、琉球の人々の極めて人間臭く、かつ戦略的な「生存のための知恵」です。
2. バーチャル化する聖地:17世紀の「リモートワーク」革命
講座の核となるのは、冒頭で触れた「久高島行幸の中止と遥拝への移行」という大事件です。 これは現代のビジネス用語で言えば、「現場主義(リアリティ)からリモートワーク(バーチャル)へのシステム移行」に他なりません。
幻視される巡礼
宗教学者の伊從勉は、論文「琉球祭祀にみる虚構と現実」において、興味深い指摘をしています。 1673年以降、国王や聞得大君は久高島へ渡らなくなりましたが、彼らが斎場御嶽で行う儀礼の中では、依然として「船に乗り、波を越え、久高島へ上陸する」という内容の神歌(オモロ)が歌われていました[伊從 2010: 36]。 つまり、彼らは物理的な移動を行わない代わりに、歌謡というメディアを使って、脳内で航海をシミュレーションする「仮想の巡礼」を行っていたのです。
組織防衛としての「形式化」
なぜ、そこまでして「行ったこと」にする必要があったのか。 それは、薩摩藩の支配下という厳しい国際情勢の中で、国王や最高神女が海難事故で失われるリスクを回避しつつ(リスクマネジメント)、同時に「王は聖地と繋がっている」という霊的な権威(正統性)だけは維持する必要があったからです。 彼らは「実質(移動)」を捨て、「形式(儀礼)」を洗練させることで、国家という組織を守り抜こうとしました。
ここには、現代の企業が直面する課題との強烈なアナロジー(類推)が成立します。 組織が拡大し、コンプライアンスや効率化が求められる中で、創業時の「熱気ある現場主義」が維持できなくなり、形式的な会議やレポートに置き換わっていく。 しかし、その「形式化」は必ずしも「堕落」ではありません。本講座では、それを組織を永続させるための高度な「編集技術」として再評価します。
3. プロジェクト管理としての信仰:媽祖と「実践の共同体」
「信仰」が組織運営のツールとして機能していた事例は、国王の祭祀だけではありません。 本講座のChapter 3で取り上げる、中国由来の航海神「媽祖(まそ)」と進貢船(しんこうせん)の関係は、まさに「国家プロジェクトにおけるチームビルディング」のケーススタディです。
異なる他者をつなぐ「象徴」
琉球王国にとって、中国への進貢貿易は国家の生命線でした。しかし、その航海は「死旅(しいたび)」と呼ばれるほど危険なものでした。 船には、エリート外交官である「久米村(くにんだ)」の士族と、現場の荒々しい船乗りたちという、身分も言葉も異なる人々が乗り合わせます。この混成チームを一つに束ねるために機能したのが「媽祖」でした。
小林康正の研究によれば、出航前、媽祖の像を寺院から船に移す「乗船儀礼」が行われ、船上では媽祖の前で、身分の高い官僚と下級船員が対面して点呼を行う「晴之規式」や、食事を共にする「共食」が行われました[小林 2022: 12-13]。 これにより、彼らは階層を超えた「同じ船の仲間(運命共同体)」としての意識を醸成したのです。小林はこれを、特定のミッションを遂行するための「実践の共同体」の形成と呼びます[小林 2022: 12]。
現代への示唆
信仰(媽祖)は、単なる神頼みではなく、多様なバックグラウンドを持つメンバーを統合し、過酷なプロジェクトを成功させるための「機能的な装置」でした。 現代のビジネスにおいて、パーパス(存在意義)やビジョンが重視されるのも同じ理屈です。論理や契約だけでは人は動きません。「これのためならリスクを冒せる」という共通の象徴(媽祖)をいかにデザインするか。琉球の歴史は、そのヒントを与えてくれます。
4. 書き換えられる聖地:近代化とアイデンティティのゆくえ
講座の後半では、明治以降の「近代化」という荒波の中で、沖縄の信仰がどのように「編集」を迫られたかを追います。ここは、加治順人の「沖縄の神社」研究や、門田岳久の「信仰の価値」研究がベースとなります。
「御嶽」から「神社」へ
明治政府は、沖縄を日本に同化させるため(皇民化)、沖縄固有の聖地「御嶽(ウタキ)」を、国家神道のシステムである「神社」へと書き換えようとしました。 鬱蒼とした森そのものが神であった場所に、コンクリートの鳥居が建てられ、祠が置かれました。これを「御嶽の神社化」と呼びます[加治 2018: 209]。 一見、これは伝統の破壊に見えます。しかし、加治順人が指摘するように、鳥居を建てて「神社」というラベルを貼ることで、開発や破壊から聖なる森が守られたという側面も見逃せません[加治 2018: 237]。 「形式」を権力(日本)に合わせることで、「本質(聖域)」を守り抜く。ここにも、琉球・沖縄の人々のしたたかな「編集能力(チャンプラリズム)」が見て取れます。
世界遺産という新たな「権威」
そして現代。かつて「迷信」として弾圧されたユタや御嶽信仰は、今度は「世界遺産」や「パワースポット」という文脈で再評価されています。 しかし、門田岳久が斎場御嶽の事例で指摘するように、そこでは「文化財としての価値(見る対象)」が優先され、地元の人々の「生々しい信仰(祈る行為)」が、観光の邪魔なものとして排除されかねない新たな摩擦が生まれています[門田 2008: 247]。 「聖地」とは誰のものか? 権威によって価値付けされた「文化遺産」と、個人の内面にある「聖なるもの」との間で、私たちはどうバランスを取ればよいのか。これは、グローバル化する社会で生きる私たち自身のアイデンティティの問題でもあります。
結びに:あなた自身の「聖域」を再定義するために
本講座『琉球の聖地とポリティクス』は、単なる歴史の学習コンテンツではありません。 17世紀の国王が、リスクを回避するために「巡礼の形式」を変えたように。 19世紀の進貢船員が、チームをまとめるために「女神」を船に乗せたように。 20世紀の村人が、森を守るために「鳥居」を建てたように。
私たちは、環境の変化に合わせて、自らの仕事のやり方や組織のあり方を柔軟に「編集」し続けなければなりません。しかし、その時、「決して変えてはいけないもの(聖域)」とは何でしょうか?
本講座の最終課題(Workbook)では、この問いをあなた自身のキャリアに投げかけます。 「あなたの組織における『久高島(譲れない核心)』はどこですか?」 「その聖域を守るために、あなたはどのような『形式(やり方)』を捨て、新しく編集しますか?」
歴史学、宗教学、社会学の知見を総動員し、あなたの思考を揺さぶる30分。 沖縄という鏡を通して、あなた自身の「軸」を再発見する旅に、ぜひご参加ください。
【体験講座情報】

なぜ、国王は最高の聖地(久高島)へ「行かなく」なったのか?
琉球王国は、ある時期を境に聖地への直接巡礼をやめ、対岸からの「遥拝」へと切り替えました。それは信仰の形骸化ではなく、国家存続のための高度な「編集」作業でした。
琉球王国が直面した「外部環境(中国・日本)の変化」と「内部のアイデンティティ(信仰)の維持」。 この葛藤は、M&Aや組織変更に揺れる現代の企業人の悩みと驚くほど重なります。
歴史は単なる過去の記録ではなく、未来を考えるための「ケーススタディ」です。
まずは無料体験で、 思考のOSをアップデートする感覚を掴んでください。
【参考文献】
- 赤嶺政信. 2020. 「沖縄の民俗研究史」『沖縄県史 各論編 9 民俗』沖縄県教育委員会.
- 赤嶺守. 2004. 『琉球王国 東アジアのコーナーストーン』講談社.
- 伊從勉. 2010. 「琉球祭祀にみる虚構と現実」『国際沖縄研究』創刊号.
- 加治順人. 2018. 「沖縄の神社、その歴史と独自性」『周縁の文化交渉学シリーズ3』関西大学文化交渉学教育研究拠点.
- 門田岳久. 2008. 「『信仰』の価値―聖地の遺産化と審美の基準をめぐる力学―」『文化人類学』73(2).
- 小林康将. 2022. 「近世琉球における媽祖祭祀の政治性」『京都文教大学 総合社会学部研究紀要』5.
- 比嘉政夫. 1996. 「琉球列島文化研究の新視角」『民族学研究』61(3).


コメント