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【名所案内】バリ島:深層の劇場国家と「ダディア」の企業人類学 —— C・ギアツのレンズで読み解く「地位」と「儀礼」の迷宮

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名所案内|フィールドの魅力

【名所案内】バリ島:深層の劇場国家と「ダディア」の企業人類学 —— C・ギアツのレンズで読み解く「地位」と「儀礼」の迷宮

フィールドワークの名所を通じて、ローカルの知識を深めながら、そこに出かけてみたいという思いを応援します。

タップできる目次

序章:観光の終わり、フィールドワークの始まり

1.1 「癒やし」の島という幻想を超えて

現代のビジネスパーソン——東京の摩天楼で四半期ごとの業績に追われ、あるいはジャカルタの渋滞の中で次の戦略を練る30代、40代のプロフェッショナルたち——にとって、「旅」とはしばしば「逃避」の同義語となります。彼らがバリ島に求めるものは、多くの場合、クリシェ(常套句)に満ちた「癒やし」です。ウブドのライステラスを見下ろすインフィニティプール、スミニャックのビーチクラブで傾けるサンセットカクテル、そしてスパでの伝統的なマッサージ。これらは確かに心地よいものですが、それはあくまで消費されるための商品化されたバリ、「薄い記述(Thin Description)」としてのバリに過ぎません。

しかし、文化人類学の視点、すなわち私、いとばや(人類学)が専門とする「フィールドワーク」の視座から見れば、バリ島は決して「平和な楽園」ではありません。そこは、社会的地位(ステータス)を賭けた熾烈な競争が繰り広げられる「闘技場」であり、過去を意図的に忘却することで現在を構築する「記憶の実験室」であり、そして国家や組織が統治のためではなく、儀礼そのもののために存在する「劇場」なのです。

本ブログは、単なる観光ガイドではありません。20世紀を代表する人類学者クリフォード・ギアツ(Clifford Geertz)の理論的枠組み、特に『バリの親族体系(Kinship in Bali)』および『ヌガラ:19世紀バリの劇場国家(Negara: The Theatre State in Nineteenth-Century Bali)』を羅針盤として、バリ島の深層構造を解剖する試みです。私たちは、バリ社会特有の親族集団「ダディア(Dadya)」を現代の「企業組織(コーポレーション)」として再定義し、そこにある「深い遊び(Deep Play)」の力学を読み解きます。この詳細な分析を通じて、読者はバリ島の風景の中に、現代のビジネスやキャリア、そして人生の戦略に通じる深淵な知恵を発見することになるでしょう。

Denpasar OSM

1.2 五感で感じる「厚い記述」:到着の現象学

ギアツが提唱した「厚い記述(Thick Description)」とは、単なる行動の観察ではなく、その背景にある文脈や意味の網の目を解釈することを指します 。デンパサールのングラ・ライ国際空港に降り立った瞬間から、その「記述」は始まります。

Jakarta Post

嗅覚の重層性

バリの空気は、決して無臭ではありません。最初に鼻腔を打つのは、熱帯特有の湿気を含んだ土の匂いと、火山島特有の濃密な熱気です。そのベースノートの上に重なるのが、インドネシア全土で愛飲される「クレテック(丁字タバコ)」の甘く、スパイシーで、どこか麻痺的な香りです 。クローブ(丁字)が燃えるその匂いは、現地のドライバーやガイドたちの衣服に染み付き、バリの社会空間を嗅覚的に定義しています。

Gudang Garam

しかし、最も象徴的なのは、朝夕の通りを満たすインセンス(線香)の煙です。これは、バリ・ヒンドゥー教徒が毎日欠かさず行う供物「チャナン・サリ(Canang Sari)」から立ち上るものです 。ヤシの葉で編まれた小さなバスケットに花や米、供物を載せ、線香を添えて地面や祭壇に置く。その煙は、聖なるもの(Sekala)と俗なるもの(Niskala)の境界線を曖昧にし、私たちを「ここではないどこか」へと誘います。人類学的な嗅覚を持ってすれば、その香りの向こう側に、観光客が無造作にまたぎ、あるいは踏みつけてしまう「見えない境界線」の存在に気づくはずです。

CANANG SARI

音響の「ラメ(Rame)」

バリの空間は「ラメ(Rame)」であることを良しとします。「ラメ」とは、賑やかで、混雑し、音が満ちている状態を指し、静寂や孤独は悪霊を引き寄せるとして忌避される傾向があります 7。

耳を澄ませば、ガムラン(Gamelan)の音が聞こえてきます。青銅の打楽器が織りなすその響きは、西洋音楽のような「ソリストと伴奏」という関係性を持ちません。ガムランは「コテカン(Kotekan)」と呼ばれるインターロッキング(噛み合わせ)奏法によって成り立っています。一つの旋律を複数の奏者が分担し、互いの音の隙間を埋め合うことで、一つの巨大な音響身体を作り上げるのです。これは、バリの社会構造そのものの聴覚的なメタファーです。個人の突出した才能ではなく、集団としての調和と、他者への極めて高度な同期性が求められる社会。その音は、現代社会で「個」の確立に疲弊した私たちの耳に、全く異なる組織論を語りかけます 。

UMBC

「熱」と闘鶏のエネルギー

そして、肌で感じる「熱」です。それは気温のことだけではありません。ギアツが名著『ディープ・プレイ:バリの闘鶏に関するノート』で描いたような、社会的な「熱」です 。現在は公式には禁止されている「闘鶏(Tajen)」ですが、村の儀礼の裏側や隠れた場所では、今も男たちが鶏を囲み、叫び声を上げています。

そこにあるのは、単なるギャンブルではありません。ギアツによれば、男たちは鶏に自分自身を投影しています。鶏(Cock)は男根の象徴であり、男らしさの代理戦争です。経済的には不合理なほどの高額な賭け(ディープ・プレイ)が行われるのは、そこで賭けられているのが金銭ではなく「社会的威信(Status)」だからです。勝者は一時的な社会的優越を得て、敗者は公的な屈辱を味わう。このヒリヒリするようなステータス競争の緊張感が、バリの空気には常に漂っています。

闘鶏 kompas

第1章:人類学的レンズ —— ギアツと「ダディア」の構造

2.1 クリフォード・ギアツという水先案内人

バリ島という複雑怪奇な迷宮に足を踏み入れるにあたり、我々には強力なガイドが必要です。それがクリフォード・ギアツ(Clifford Geertz) です。彼は1950年代に妻のヒルドレッドと共にバリ島でフィールドワークを行い、機能主義的な人類学(社会制度がどのような機能を持つか)から、解釈人類学(人々が自身の文化にどのような意味を見出しているか)への転換を決定づけました 。

IAS

彼の著作『バリの親族体系(Kinship in Bali)』は、バリ社会を理解するためのバイブルです。ギアツは、親族関係を「血のつながり」という生物学的な事実としてではなく、特定のシンボル(寺院、祖先、儀礼)を通じて構築される「意味の体系」として捉えました 。

Kinship in Bali 1975

2.2 中核概念:「ダディア(Dadya)」とは何か

本レポートの核心となる概念、それが「ダディア」です。多くの旅行者は、バリ島で見かける無数の寺院を「みんなの祈りの場」だと思っていますが、それは大きな誤解です。バリの寺院の多くは、特定の親族集団が所有する「企業の自社ビル」に近い性質を持っています。

定義と構造

ダディアとは、共通の祖先(Kawitan)を持ち、共通の寺院(Pura Dadya)を維持・管理する、父系出自に基づく「企業的な親族集団(Corporate Kingroup)」です 。

ここで重要なのは、ダディアが決して「自然発生的」なものではないという点です。人は生まれながらにして特定の親族ネットワークに属していますが、それが必ずしも強力な「ダディア」であるとは限りません。ダディアとは、親族たちが意識的に団結し、資源を出し合い、組織化することを選択した結果、生まれるものです。

Pura Dadya /Udaya

ギアツは、ダディアを以下のような特徴を持つ集団として定義しています :

  1. 法人格(Corporateness): 明確な境界線を持ち、メンバーと非メンバーが厳密に区別される。
  2. 共有財産(Corporate Property): 寺院そのもの、儀礼のための農地(ラバ・プラ laba pura)、聖なる宝物(クリスや仮面)。
  3. 政治的リーダーシップ: 祭司や長老による意思決定機関。
  4. 競争的指向: 他のダディアとのステータス競争を主たる目的とする。

「任意の結社」としての側面

驚くべきことに、同じ村の中に住んでいても、巨大で豪華な寺院を持つ強力なダディアに属する人もいれば、ほとんど組織化されていない緩やかな親族ネットワーク(「サンガ(Sanggah)」レベル)に留まる人もいます 。

これは現代のビジネス環境に酷似しています。ある業界(村)には、強固な組織力とブランドを持つ大企業(強力なダディア)もあれば、個人事業主の集まりのような零細グループ(非ダディア的な親族)も混在しているのです。ダディアは、親族関係をテコにして社会的・政治的影響力を最大化するための「戦略的装置」と言えます。

2.3 テクノニミーと「系譜的健忘症」

ダディアがいかにして形成され、維持されるかを理解するためには、バリ人特有の名前の呼び方、「テクノニミー(Teknonymy:親称)」と、それがもたらす「系譜的健忘症(Genealogical Amnesia)」という現象を理解せねばなりません 。

テクノニミーのメカニズム

バリの一般庶民(スドラ階層)の間では、個人名(例:ワヤン、マデ)で呼ばれるのは子供のうちだけです。第一子が生まれると、親はその子の名前を取って呼ばれるようになります。

  • 子供が「サリ(Sari)」の場合:父親は「パン・サリ(Pan Sari)」、母親は「メン・サリ(Men Sari)」となります。
  • さらにサリが成長して孫「グデ(Gede)」が生まれると:祖父は「カク・グデ(Kak Gede)」または「ダドン・グデ(Dadong Gede)」となります。
  • そして曾孫が生まれると:「クンピ(Kumpi)」と呼ばれます。

系譜的健忘症(Genealogical Amnesia)の機能

このシステムにおいて、個人の固有名は人生の段階ごとに上書きされ、消去されていきます。曾祖父(Kumpi)になる頃には、もはや個人のアイデンティティは希薄になり、抽象的な「祖先」へと昇華されます。

ギアツは、この慣習が「系譜的健忘症」を引き起こすと指摘します 。つまり、人々は自分の直近の祖先(父母、祖父母)のことは知っていても、それより上の世代の具体的な名前や事績を忘れてしまうのです。

これは欠陥ではなく、極めて高度な「機能」です。正確な家系図を忘れることによって、バリの庶民は親族関係を柔軟に操作できるようになります。

  • もし自分のダディアが衰退した場合、その起源を「忘却」し、より有力なダディアに合流することが容易になります。
  • 逆に、自分たちが成功して新たなダディアを立ち上げる際、都合の良い「高貴な祖先」とのつながりを(捏造に近い形で)発見し、正当化することが可能になります。つまり、健忘症は「社会的な流動性(Social Mobility)」を担保するための戦略的なツールなのです。これは、正確な家系図(ババッド Babad)を固持し、過去の血統によって特権を維持しようとする貴族階級(ト・リワンサ)とは対照的です 。

2.4 ダディア vs. 非ダディア村:テンガナン村の事例

ギアツの研究における重要な発見の一つは、すべてのバリの村がダディアによって支配されているわけではないという点です 。

バリ島南部の平野部、かつての王国の中心地ではダディア・システムが発達していますが、山間部の古層の村(バリ・アガ Bali Aga)では全く異なる原理が働いています。

例えば、テンガナン村(Tenganan Pegringsingan)では、血縁(ダディア)よりも地縁(居住)が優先されます。ここでは村全体がひとつの共同体として機能し、個別の親族集団による派閥争いは抑制されています。このような村では、村の土地は共有され、儀礼も村全体で行われます。

Bali Post

読者がもしバリ島を訪れ、南部の華やかな寺院群と、テンガナンのような厳格で閉鎖的な村落の両方を目にするならば、それは「競争的な株式会社型社会(南部)」と「共同体的なコミューン型社会(山間部)」という、異なる社会OSの対比を見ていることになります 。


第2章:劇場国家(Negara)と儀礼の政治経済学

3.1 「権力は儀礼に奉仕する」

ギアツのもう一つの金字塔『ヌガラ』(1980)は、19世紀のバリの王権についての分析ですが、これは現代の組織論にも通じる衝撃的なテーゼを含んでいます 。

西洋的な政治学、あるいはマキャベリズム的な権力観では、国家とは「統治するための機関」です。軍隊を持ち、税を集め、法を執行する。儀礼(戴冠式やパレード)は、その権力を装飾するための手段に過ぎません。

しかし、ギアツはバリの国家(ヌガラ)において、この関係が逆転していると主張しました。

権力は儀礼に奉仕する。儀礼が権力に奉仕するのではない(Power served pomp, not pomp power)

バリの王たちは、国を治めるために儀礼を行ったのではありません。儀礼を行うために国を治めたのです。大規模な火葬儀礼(Ngaben)や歯削り儀礼(Metatah)こそが国家の目的であり、政治や経済はその「舞台装置」を維持するための裏方に過ぎませんでした。

3.2 模範的中心(Exemplary Center)としての王

王の役割は、独裁者として命令を下すことではなく、「模範的中心(Exemplary Center)」として存在することでした。王宮は宇宙(マクロコスモス)の縮図であり、王自身が神々の世界を完璧に模倣して振る舞うことで、その調和が領土全体(ミクロコスモス)に波及すると信じられていました 。

王が動かず、感情を見せず(Halus)、ただ優雅に座っていること。それこそが、国家を安定させる最大の政治的行為だったのです。もし国が乱れるならば、それは王の政策の失敗ではなく、王の「霊的なポテンシャル(Kesaktian)」の低下や、儀礼の不備による宇宙論的な不調和が原因とされました。

3.3 オダラン(Odalan):神々との饗宴

この「劇場国家」の精神は、王権が解体された現代においても、村々の寺院祭礼「オダラン(Odalan)」の中に脈々と受け継がれています。

オダランは、寺院の建立記念日(ウク暦で210日ごと)に行われる祭りです。神々が天から降りてきて、信者たちが捧げる供物や芸能を楽しむ期間です。

ここで注目すべきは、その美的過剰性です。寺院は極彩色の布や傘、ペンジョール(竹飾り)で飾られ、ガムランの演奏が鳴り響き、舞踊が奉納されます。これは単なる信仰の表現ではありません。ダディアやバンジャール(地縁集団)が、自分たちの「繁栄」と「組織力」を対外的に誇示するためのコンテストなのです。

豪華な供物(ゲボガン Gebogan)を頭に載せて行列する女性たちの姿は、観光客にとっては絶好の被写体ですが、人類学者にとっては「我々のダディアはこれだけの余剰資源を持っている」というステータス・シンボルの提示に他なりません 。

3.4 メル(Meru)の建築記号論

寺院の境内にそびえ立つ、シュロの繊維(イジュク)で葺かれた多重塔「メル(Meru)」は、まさにステータスの塔です 。

Bali Express

メルの屋根の層(トゥンパン)は、常に奇数(1, 3, 5, 7, 9, 11)であり、その数は祀られる神格や、その寺院を所有するダディアの地位によって厳格に規定されています。

  • 11層: 最高神(シヴァ、アチンティア)や、最高の王族の霊。ブサキ寺院やウルン・ダヌ・ブラタン寺院に見られる。
  • 9層、7層: 高位の神々や貴族(クシャトリヤ)。
  • 5層、3層: 下級貴族(ウェシア)や有力な庶民の祖先。
  • 1層: 地域の精霊など。

ダディア間の競争において、このメルの層数は火種となります。新興のダディアが経済力をつけ、自分たちの地位を上げようとして、慣例よりも高い層数のメルを建立しようとすれば、それは村内の既存のヒエラルキーに対する挑戦とみなされます。かつてはこれが物理的な紛争に発展することもありましたが、現代では「慣習法(Adat)」による制裁や、終わりのない噂話という形で闘争が継続されます。

読者が寺院を訪れた際、もし新しく塗り替えられた金色の門を持つ寺院の隣に、古びた寺院があれば、そこには「上昇するダディア」と「沈みゆくダディア」のドラマが存在しているのです。


第3章:空間と社会の三重構造 —— フィールドの歩き方

4.1 バリ人の三重所属:バンジャール・スバック・ダディア

バリ社会を理解する上で最も混乱しやすく、かつ重要なのが、一人のバリ人が同時に複数の「企業体」に所属しているという事実です。いとばや先生の視点では、これを以下のように整理します。

組織名所属原理機能・役割拠点・シンボル
バンジャール (Banjar)地縁 (Territorial)市役所+警察+互助会。居住地に基づく義務的な組織。結婚、葬儀、治安維持を担う。バレ・バンジャール (集会場)
スバック (Subak)水利 (Hydrological)農業協同組合。同じ水源から水を引く田んぼの所有者組合。農業儀礼と水配分を管理。ウルン・スウィ寺院 (水寺)
ダディア (Dadya)血縁 (Genealogical)一族の株式会社。祖先祭祀を通じたステータス向上、選挙時の集票マシーン。プラ・ダディア (氏族寺院)

インサイト: あるバリ人男性にとって、隣人は「バンジャール」の仲間であり協力しなければなりませんが、同時に田んぼの水配分を争う「スバック」のライバルであり、さらに「ダディア」としては敵対する派閥の一員かもしれません。バリ人が常に洗練された礼儀正しさ(Halus)を保つのは、このように複雑に絡み合った利害関係の中で、どの「顔」で接すべきかを瞬時に判断し、致命的な対立を避けるための社会的知恵なのです。

4.2 「カヒャンガン・ティガ」と寺院の見分け方

どの村にも必ず存在する「三つの寺院(カヒャンガン・ティガ Kahyangan Tiga)」のシステムを知ることは、フィールドワークの基本です 。

  • プラ・プセ (Pura Puseh): 起源の寺。村の創始者を祀る。通常、山側(カジャ)にある。
  • プラ・デサ (Pura Desa): 村の寺。ブラフマー神を祀り、村の日々の安寧を祈る。村の中心にある。
  • プラ・ダルム (Pura Dalem): 死者の寺。シヴァ神(またはドゥルガ)を祀る。墓地(セトラ)の近く、海側(ケロッド)にある。

これらは「公的」な寺院です。対して、観光客が見逃しがちなのが「私的」な寺院です。村を歩いていて、個人の家よりは立派だが、村の寺ほど大きくはない寺院を見かけたら、看板(Papan Nama)を確認してください。

  • 「Pura Dadya Pasek…」:パセッ(Pasek)氏族のダディア寺院。
  • 「Pura Panti…」:パンティ(Panti)はダディアよりも小規模、あるいは分家筋の寺院。
  • 「Pura Ibu…」:イブ(Ibu)は「母」を意味しますが、ここでは特定の始祖(Paibonより上位、Dadyaと同等かそれ以上の場合もある)を祀る寺院。特にパセッ氏族などで使われる呼称 。

この看板を読むことは、その地域の「株主構成」を読むことと同義です。どの氏族がその村で力を持っているのか、看板の立派さと境内の整備状況が如実に物語っています。

4.3 ステータス競争の力学:「沈む地位」との戦い

バリの貴族(ト・リワンサ)にとって、最大の恐怖は「沈む地位(Sinking Status)」です 。

バリの身分制度において、父親の地位は子供に継承されますが、母親の地位が低い場合、子供の地位はわずかに下がります。何代にもわたって下位の女性と結婚(Hypogamy)を続けると、貴族の家系であっても徐々に平民(ジャバ Jaba)へと没落していきます。

これを防ぐために、ダディアは「結婚戦略」を駆使します。

  • 内婚(Endogamy): 最も理想的なのは、父方の従姉妹(FBD: Father’s Brother’s Daughter)との結婚です。これにより、血統の純粋性が保たれ、資産や儀礼的知識がダディア外に流出するのを防げます。
  • ハイパーガミー(Hypergamy): 女性を自分たちより上位の男性に嫁がせることで、上位集団とのコネクションを作る(「嫁入りによる上昇婚」)。ダディアとは、この重力のような「地位の低下」に抗い、あわよくば上昇しようとするための、集団的な生存システムなのです。

第4章:人間味とエチケット —— 失敗から学ぶバリ

5.1 フィールドワークの失敗談:人類学者もまた人間なり

完璧に見える人類学者も、現場では数々の失敗を犯します。ギアツ自身、現地警察の闘鶏のガサ入れから逃げる際に、妻と共に必死で走り、逃げ込んだ民家でお茶を飲んでくつろぐふりをしたという有名なエピソードがあります 。この「共犯関係」こそが、彼が村人に受け入れられるきっかけとなりました。

また、ある人類学者は、バリのテクノニミー(親称)に混乱し、同じ人物が「パン・〇〇」から「カク・〇〇」に名前が変わったことに気づかず、別人と記録してしまったという失敗もあります 。

いとばや先生としての私のアドバイスは、「失敗を恐れるな、しかし無知を恥じよ」です。バリ人は、外国人が文化的な失敗(Faux pas)をすることには寛容ですが、敬意を欠いた態度には敏感です

5.2 カーストと言語:ソル・シンギ・バサ

バリ語には厳格な敬語システム「ソル・シンギ・バサ(Sor Singgih Basa)」があります 。相手のカーストによって、使う単語が全く異なるのです。

  • 高地バリ語(Alus): 目上の人、高カーストの人に使う。
  • 低地バリ語(Kasar): 親しい友人、目下の人、動物に使う。外国人が陥りやすい罠は、市場で覚えた「現地の言葉(実は低地バリ語)」を、寺院の僧侶(プダンダ)に使ってしまうことです。これは「お前」と呼びかけるようなもので、致命的な侮辱となります。無理にバリ語を使おうとせず、インドネシア語(Bahasa Indonesia)を使いましょう。インドネシア語は平等な言語であり、誰に対しても失礼になりません。あるいは、最高レベルの挨拶「オム・スワスティ・アストゥ(Om Swastiastu:神の恵みがありますように)」だけを完璧に発音することで、十分な敬意を示すことができます。

5.3 身体のエチケット:頭と足

バリ・ヒンドゥー教では、身体もまた宇宙の縮図です。

  • 頭(ウタマ Utama): 神聖な部分。子供であっても、頭を撫でてはいけません。魂(アトマ)が宿る場所です 。
  • 足(ニスタ Nista): 不浄な部分。寺院や人の家で座る際、足の裏を祭壇や人に向けてはいけません。あぐら(Bersila)か、正座を崩した形(Bersimpuh)で座り、足を後ろに隠すのがマナーです 。
  • 生理中のタブー(Sebel): 女性が生理中に寺院に入ることは厳格に禁じられています。これは「差別」ではなく、血という「生命の源泉でありながら、儀礼的には熱すぎる(Panas)エネルギー」が、寺院の清浄さを乱すと考えられているためです。

5.4 「レック(Lek)」:舞台恐怖症としての羞恥心

バリ人の感情生活を理解するキーワードが「レック(Lek)」です。これは通常「恥」と訳されますが、ギアツはこれを「舞台恐怖症(Stage Fright)」と解釈しました。

バリ人にとって、社会生活は演劇そのものです。自分の役割(カースト、性別、立場)を完璧に演じきることが求められます。「レック」とは、その演技が崩壊すること、型(エチケット)から外れてしまうことへのパニック的な恐怖です。

バリ人が常に浮かべている微笑みは、この「レック」を隠し、社会的な摩擦を避けるための精巧なマスクでもあります。彼らの笑顔を「純粋な喜び」とだけ受け取るのは、彼らの高度な感情制御(エモーショナル・ワーク)を見落としています。


第5章:フィールドワークの名所ガイド —— デジタル時代のヌガラへ

6.1 「All Indonesia」アプリ:現代の通行儀礼

2025年のバリ島への入国は、かつての王宮への謁見と同様、デジタルな儀礼を通過しなければなりません。

インドネシア政府は、税関申告(ECD)、ビザ、健康申告などを統合したシステム(しばしば「All Indonesia」構想や統合アプリとして言及される)を推進しています。

  • 事前準備: 到着前にアプリですべての情報を登録し、QRコードを取得しておくこと。これは現代の「通行手形」です。
  • 観光税(Tourist Levy): バリ島入域時に課される観光税(約15万ルピア)は、現代の「朝貢(Upeti)」です。これを支払うことで、あなたはバリという「劇場」の観客としての資格を得ます。
  • 自動化ゲート: ングラ・ライ空港の自動ゲート(Autogates)を利用するには、事前のパスポート登録が必要です。これを済ませておけば、入国審査の長蛇の列をパスできます——まさに現代の「特権」です。

6.2 儀礼用織物の「厚い記述」

もしあなたが寺院のオダランに遭遇し、供物や装飾を観察するなら、使われている「布(Wastra)」に注目してください 。

  • チェナナカウィ(Cenanakawi): 経糸が白、緯糸が緑・赤・黄の縞模様。3ヶ月の儀礼(ネルブラン)や、祖先神の祠(Rong Tiga)の装飾に使われます。
  • ビアス・メンバ(Bias Membah): 「流れる砂」を意味する、白とグレーの縞模様。これも祖先神のために使われます。
  • エンチャカン・タル(Encakan Taluh): 「割れた卵」を意味する、赤と白のチェック柄(ポレンとは異なる)。これらの布の名前を知っているだけで、あなたの視点は「きれいな布」から「特定の儀礼的機能を持った織物」へと深まります。

6.3 ビジネス・インサイト:バリから学ぶ組織論

最後に、バリ島の「ダディア」と「劇場国家」の知見を、現代のビジネスキャリアにどう昇華させるか、3つのインサイトを提示します。

  1. 「戦略的健忘症」のススメ:バリのダディアが系譜を忘却することで柔軟性を保つように、企業やプロジェクトチームも「過去の成功体験」や「古いしがらみ」を意識的に忘却(リセット)する儀礼が必要です。イノベーションは、過去のデータを積み上げることではなく、過去の文脈を書き換える(Re-narrate)ことから生まれます。
  2. 「劇場」としてのマネジメント:リーダーの役割は、実務的な指示出し(機能)だけではありません。「模範的中心」として振る舞うこと、つまりビジョンを体現するパフォーマンス(儀礼)こそが、組織の求心力を生み出します。会議やプレゼンテーションを「情報の伝達」ではなく、「組織のリアリティを確認する儀礼」として再定義してください。
  3. ネットワークを「ダディア」化する:単なる名刺交換のネットワークは脆弱です。バリのダディアのように、共有する「聖なる目的(Corporate Property)」——それは知識であったり、特定の価値観であったりします——を持ち、定期的な「集まり(儀礼)」を通じて結束を固めることで、ネットワークは強力な互助組織へと進化します。

結び: —— リベラーツへの招待

バリ島への旅は、単なる休暇ではありません。それは、私たちの社会が「当たり前」だと思っている前提——血縁、権力、効率性——を根底から揺さぶる、知的な冒険です。

ギアツのレンズを通してバリを見た今、あなたはもう以前と同じように、ただの「南の島」としてこの地を見ることはできないでしょう。インセンスの煙の向こうに、ダディアの野望を見出し、ガムランの響きの中に、組織の力学を聞き取るはずです。

「知」のフィールドワークは、ここからが本番です。

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付録:データテーブル

表1:バリ社会の組織的三重構造

組織名原理リーダーの呼称主な機能
バンジャール (Banjar)地縁 (Territorial)クリアン・バンジャール (Kelian Banjar)行政、治安、結婚・葬儀の互助
スバック (Subak)水利 (Hydrological)プカセ (Pekaseh)灌漑用水の配分、農業儀礼
ダディア (Dadya)血縁 (Genealogical)クリアン・ダディア (Kelian Dadya)祖先祭祀、親族の結束、政治的圧力団体

表2:バリ人の出生順位による命名(スドラ階層)

出生順男性名 / 女性名意味
第1子ワヤン (Wayan) / プトゥ (Putu) / グデ (Gede)長子 / 門 / 大きい
第2子マデ (Made) / カデック (Kadek) / ヌンガ (Nengah)中間 / 真ん中
第3子ニョマン (Nyoman) / コマン (Komang)若い / 末っ子(かつての期待)
第4子クトゥ (Ketut)小さなバナナ(残り物)、これで終わり
第5子ワヤン (Wayan) に戻るサイクルの一巡(Balik)

表3:メル(多重塔)の層数と象徴

層数 (Tumpang)奉納対象の例社会的意味
11層アチンティア(最高神)、シヴァ、デウィ・ダヌ最高の神聖性、王権の象徴
9層デワ・バユなどの方向神、高位の王族高位の貴族性
7層クシャトリヤ階級の祖先神貴族
5層ウェシア階級の祖先神下級貴族、有力者
3層スドラ階級の祖先神(トリワンサ以外)一般的な祖先
1層地域精霊、特定の機能神特定の場所や機能への奉納

投稿者

  • 文化人類学者|社会人類学・アクターネットワーク理論

    • 早稲田大学大学院博士課程に在籍中、インドネシアとシンガポールへの留学を経て、文化・社会人類学の研究手法を体得。現在もフィールドワークを重視する研究者として活動。
    • 研究テーマは、東南アジアの国際移民研究から、BBCやNHKのドキュメンタリー番組制作過程の民族誌的研究、沖縄・韓国・マレーシアの民俗服飾の比較研究へと展開。近年は、伝統染織「読谷山花織」を事例に、市場的価値と社会的価値が織りなすネットワークの中で、いかに持続可能な発展が実現されるのかを追究している。
    • 特筆すべきは、コロナ禍でキャリアコンサルタント国家資格を取得した点。人類学者としての視座とキャリア支援の実践知を統合し、沖縄の伝統産業における技能継承や後継者育成の研究にその知見を活かしている。学問と社会をつなぐ姿勢は、リベラーツの理念にも通底する。
    • 主な著書:
      『シンガポール:多文化社会を目指す都市国家』
      『戦後アジアにおける日本人団体』
      『イスラーム事典』

     

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