日本の教養教育とリベラーツの挑戦
世界の潮流は「統合」へ ――STEMと古典、エリート教育の復権
前回は、日本において教養教育が「パンの耳(専門への通過儀礼)」として軽視され、空洞化していった歴史的経緯を見ました。しかし、視点を世界に転じると、全く異なる景色が広がっています。
現在、米国や欧州のトップ大学では、最先端の科学技術(STEM)と古典的なリベラルアーツを高度に融合させる「知の統合」が急速に進んでいます。第3回となる本稿では、AI時代を見据えた世界の教育改革の最前線をレポートします。
1. 米国:パデュー大学「コーナーストーン」の衝撃
象徴的な事例として挙げられるのが、米国の名門州立大学、パデュー大学(Purdue University)の取り組みです。同大学は工学や農学で知られる理系重視の大学ですが、近年、全米から注目を集める大胆な改革を行いました。それが「コーナーストーン統合リベラルアーツ(Cornerstone Integrated Liberal Arts)」プログラムです。
■ 背景にある危機感 改革を主導したミッチ・ダニエルズ学長(当時)らは、危機感を抱いていました。高度な技術力を持つ学生たちが、コミュニケーション能力や倫理的な判断力を欠いているために、社会でリーダーシップを発揮できないケースが増えていたのです。
■ 「エンジニアこそ、シェイクスピアを読め」 このプログラムでは、工学部の1年生が『ギルガメッシュ叙事詩』やプラトン、シェイクスピアといった古典(Great Books)を読み込みます。重要なのは、これらが単なる教養科目ではなく、「技術者が直面する倫理的課題」や「人間理解」と直接リンクされている点です。 「変革的テキスト(Transformative Texts)」と呼ばれるこの講義は、開始からわずか数年で学生の熱狂的な支持を集め、今では全学生の半数以上が受講する巨大プログラムへと成長しました。これは、「実学か教養か」という二項対立が、もはや過去のものであることを証明しています。
2. 「グレート・ブックス」教育の再評価
さらにラディカルな例として、セント・ジョンズ・カレッジ(St. John’s College)の存在も見逃せません。この大学には講義が一切なく、教科書もありません。あるのは、ホメロスからアインシュタインに至る「西洋の古典(Great Books)」約100冊のみです。
学生たちは4年間、少人数のセミナー形式でひたすら古典を読み、議論します。一見、時代錯誤に見えるこの教育スタイルですが、卒業生はシリコンバレーのハイテク企業や法曹界、金融界から極めて高い評価を受けています。 なぜなら、未知のAI技術に直面したとき、過去の事例(判例やマニュアル)は役に立ちませんが、「未知の問いに対して、原典にあたり、本質的な議論をする力」は、あらゆる領域で応用可能だからです。
3. 欧州:専門特化からの脱却と「ユニバーシティ・カレッジ」の勃興
伝統的に、高校段階で進路を決め、大学入学直後から法律や医学などの専門教育を行う傾向が強かったヨーロッパでも、大きな変化が起きています。 特にオランダでは、1998年のユトレヒト大学を皮切りに、「ユニバーシティ・カレッジ(University College)」と呼ばれるリベラルアーツ型の学部が次々と設立されています。
これらのカレッジは、厳格な選抜制(Selective)と全寮制を採用し、文理の枠を超えた学際的な学びを提供しています。EU統合やグローバル化が進む中で、単一の専門知識だけでは解決できない複雑な社会課題(移民問題、気候変動など)に対応できるリーダーを育成するため、「広範な教養に裏打ちされた専門知」を持つエリート教育へと舵を切ったのです。
結論:STEAMへの進化
全米科学、工学、医学アカデミーの報告書『Branches from the Same Tree』(2018年)が提言するように、世界は今、STEM(科学・技術・工学・数学)にArts(人文・芸術)を加えた「STEAM教育」、すなわち知の統合へと向かっています。
世界のトップエリートたちは、AIを使いこなすための「技術」と、AIに指示を出すための「哲学」をセットで学んでいます。 ひるがえって、日本の大人の学びはどうでしょうか? まだ「すぐに役立つスキル」だけを追い求めていないでしょうか?
次回は、この「世界の潮流」と「日本の現状」のギャップを埋めるための、リベラーツ独自の回答――希釈された知識ではない、「知の原液」を浴びるための方法論について公開します。
(第4回へ続く)



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