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【連載 第2回】ビジネス人類学はいつ生まれたのか?——ホーソン実験から応用人類学への軌跡

越境するビジネス人類学:データが語らない「意味」を読む

【連載 第1回】「越境するビジネス人類学」|データが語らない「意味」をどう読むか?——ビジネスと労働の人類学、交差する二つの視座

【連載 第2回】ビジネス人類学はいつ生まれたのか?——ホーソン実験から応用人類学への軌跡

こんにちは。リベラルアーツのeスクール「リベラーツ」で伴走者を務めています、文化人類学者の「いとばや」です。

前回の第1回では、「データが語らない『意味』をどう読むか?」をテーマに、現代の複雑なビジネス課題を解き明かすための「アンソロ・ビジョン(人類学的視座)」の全体像をお伝えしました。

今回は、少し時計の針を戻して、「歴史」の話をしましょう。

近年、「エスノグラフィ(参与観察)」や「ビジネス人類学」という言葉を、ビジネス誌やイノベーションの文脈で目にする機会が増えました。新しい経営のバズワードのように感じている方もいらっしゃるかもしれません。

特に、バブル崩壊から「失われた30年」を最前線で駆け抜け、MBO、シックスシグマ、アジャイル、パーパス経営……と、数々の経営手法やトレンドの浮き沈みを見てこられた50代のエグゼクティブやマネジメント層の方々にとっては、「また新しい横文字のフレームワークか」「どうせ現場には定着しないだろう」と懐疑的に思われるのも無理はありません。

しかし、ビジネス人類学は決してポッと出の流行りモノではありません。実は、企業と人類学の交差点には、およそ1世紀にも及ぶ深く、そして泥臭い歴史があるのです。

今回は、Marietta L. Baba(マリエッタ・L・ババ)という人類学者が1986年に記した記念碑的な論文『Business and Industrial Anthropology: An Overview』を手がかりに、ビジネス人類学がいつ、どのようにして生まれ、なぜ今もなお強力な武器であり続けているのかを紐解いていきます。

Michigan State University

※ ビジネス人類学の先駆者: 人類学の知識や「エスノグラフィー(民族誌)」の手法を企業の組織経営、異文化マネジメント、技術革新の普及などに適用する研究の第一人者です。ミシガン州立大学の社会科学部長や教授(人類学、労使関係学)を歴任し、現在は戦時下における奴隷化された女性と子供のための財団(WCEW)の会長。

日々のマネジメントで「なぜ、どんなに精緻なKPIや評価制度を導入しても、現場はマニュアル通りに動かないのか?」と頭を抱え、これまでの成功方程式を手放すべきか悩んでいる方にこそ、知っていただきたい物語です。

1. 人類学者が工場に潜入した日:1930年代のウェスタン・エレクトリック社

ビジネスと人類学の最初の本格的な出会いは、1920年代後半から1930年代にかけて、アメリカのシカゴ郊外にあったウェスタン・エレクトリック社の「ホーソン工場」で行われた、有名な「ホーソン実験」に遡ります。

経営学や産業社会学を学ばれた方なら、「照明の明るさと作業能率の関係を調べようとしたら、明るくしても暗くしても能率が上がった(注目されていることでモチベーションが上がった)」という、いわゆる「ホーソン効果」のエピソードをご存知でしょう。

しかし、この長年にわたる実験の真のハイライトであり、人類学が深く関わったのは、その後に行われた「バンクルーム監視実験(Bank Wiring Observation Room)」と呼ばれる調査でした。

当時のアメリカ産業界は、フレデリック・テイラーが提唱した「科学的管理法」の全盛期です。「人間は経済的なインセンティブ(お金)さえ与えれば、機械の歯車のように合理的に動くはずだ」という強固な前提のもと、ストップウォッチで作業時間を計測し、出来高払い制が導入されていました。

ところが、ホーソン工場の現場では、経営側の期待に反する奇妙な現象が起きていました。労働者たちはある一定の生産量(1日あたり2台の機器配線)に達すると、意図的に作業のペースを落とし、それ以上生産性を上げようとはしなかったのです。

「なぜ、もっと稼げるはずなのに彼らは働かないのか?」

この謎を解明するためにハーバード大学から派遣された研究チームの中に、W. ロイド・ワーナー(W. Lloyd Warner)という人類学者がいました。彼はもともと、オーストラリアの先住民(アボリジニ)の親族構造や儀式を研究していた気鋭の学者です。ワーナーは、シカゴの工場の労働者たちを「未開の部族」を観察するのと同じように、先入観を持たずに長期間にわたってじっくりと観察(エスノグラフィ/参与観察)しました。

現場を支配する「部族の掟」と3つの恐怖

ワーナーたちの観察によって、労働者たちが生産を制限している背後には、彼ら全員が共有する「3つの暗黙の恐怖」があることが浮かび上がりました。

  1. 失業の恐怖(Fear of unemployment): もし自分たちが生産性を上げすぎたら、仕事が早く終わりすぎて、仲間の誰かが解雇(レイオフ)されるのではないか。
  2. 基準引き上げの恐怖(Fear of raised standards): 今必死に働いて高い数字を出せば、経営側は給与を据え置いたまま、来期からその高い数字を「基本ノルマ」に引き上げるに違いない。
  3. 遅い仲間を守る(Protection of slow workers): 作業が遅い同僚が悪目立ちして、解雇の標的にされるのを防ぎたい。

この自分たちで作った「非公式の基準」を守るため、14人のグループは強固な「インフォーマルな社会システム(非公式の人間関係)」を築き上げ、はみ出す者には容赦ない同調圧力をかけていました。現場には、次のような強固な「掟」がありました。

  • 出すぎ者の禁止(Rate-Busters): 働きすぎて生産基準(ノルマ)を上げてしまう奴。彼らは皮肉を言われるだけでなく、「ビンギング(Binging)」と呼ばれる、腕を強く殴られる物理的な制裁を受けました。
  • 怠け者の禁止(Chiselers): 逆に、怠けすぎて自分たちの役割を果たさない奴も嫌われます。
  • 密告の禁止(Squealers): 現場の本当の生産能力や、内部の力学を上司に報告する奴は最大の裏切り者とされました。

このバンクルーム実験は、当時の組織心理学や経営理論に革命をもたらしました。労働者は単なる「個人の経済的利益」だけで動くのではなく、社会的・感情的な要因によって動いていること。そして、現場のインフォーマルな集団は、企業が上から押し付ける公式なインセンティブ・プログラムや監督体制を、いとも簡単に無効化する強力な「対抗文化(カウンターカルチャー)」を作り得ることを、見事に証明したのです。

現場を支配する「部族の掟」

その結果、ワーナーたちが発見したのは、経営陣が作った「公式の組織図(フォーマルな組織)」の裏側に、労働者たちが自分たちで作り上げた「インフォーマルな組織(非公式の人間関係)」と、独自の「文化(暗黙のルール)」が強力に機能しているという事実でした。

14人の男性労働者からなるその現場には、経営側のマニュアルには絶対に載っていない、次のような強固な「掟」がありました。

  1. 出すぎ者の禁止(Rate-buster): 働きすぎて生産基準(ノルマ)を上げてしまう奴は、仲間の反感を買う。
  2. 怠け者の禁止(Chiseler): 逆に、怠けすぎて仲間の足を引っ張る奴も嫌われる。
  3. 密告の禁止(Squealer): 上司に仲間の不利になるようなことを報告してはならない。

もしこの掟を破って働きすぎる者がいれば、仲間から腕を強く殴られる(Bingingと呼ばれる制裁)か、徹底的な村八分に遭いました。

労働者たちは、単なる「経済人(ホモ・エコノミクス)」として個人で最大利益を追求していたわけではありません。彼らは、「もし誰かが働きすぎたら、経営側は基準ノルマを引き上げるに違いない」「最悪の場合、人員削減(レイオフ)につながるかもしれない」という恐怖を共有していました。

つまり、彼らの「サボタージュ」は怠慢ではなく、過酷な労働環境の中で自分たちの雇用を守り、仲間内での「社会的承認」や「連帯」を維持するための、極めて合理的で文化的な生存戦略だったのです。経営側が設定したKPIよりも、現場の「部族の掟」の方が、人々の行動をはるかに強力に決定づけていました。

これが、人類学のレンズがビジネスの現場における「データが語らない意味」を鮮やかに解き明かした歴史的瞬間でした。

2. Marietta L. Babaによる歴史の再発見と体系化

ホーソン実験によって、産業界における「インフォーマルな人間関係」や「文化」の重要性が認知されました。応用人類学会(Society for Applied Anthropology)も設立され、ビジネスと人類学の蜜月が始まるかのように見えました。

しかし、その後、第二次世界大戦を経て、1950年代から70年代にかけて、アメリカの経営学はより数学的、定量的なアプローチ(オペレーションズ・リサーチやシステム工学など)へと大きく傾斜していきます。

同時に、人類学の側も、植民地主義への加担への反省や、純粋な学問的探求への回帰から、企業という「資本主義の権化」に協力することに強い抵抗感を示すようになりました。結果として、ビジネスと人類学の交差点は、一度は歴史の表舞台から忘れ去られようとしていました。

この断絶された歴史を繋ぎ直し、「ビジネス人類学」という分野を現代に再活性化させたのが、ミシガン州立大学の人類学者Marietta L. Baba(マリエッタ・L・ババ)です。


Business and Industrial Anthropology: An Overview (NAPA Bulletin) 1986

彼女が1986年に発表した論文『Business and Industrial Anthropology: An Overview』は、1930年代のホーソン実験から始まる産業人類学の系譜を丹念に掘り起こし、それが単なる過去の遺物ではなく、現代のビジネス課題に直結する応用人類学の重要な一分野であることを体系化しました。

1980年代の危機と「企業文化」の発見

なぜ、1980年代にこの論文が必要とされたのでしょうか?

1980年代のアメリカといえば、日本的経営(トヨタ生産方式など)の台頭により、アメリカの製造業がかつてない深刻な危機感に苛まれていた時期です。

アメリカの経営者たちは、「なぜ日本企業はあんなに品質が高く、従業員がまとまっているのか」と驚愕し、『エクセレント・カンパニー』などのベストセラーを通じて「企業文化(Corporate Culture)」という目に見えない要素に一斉に注目し始めました。

Babaの功績は、この時代的要請と人類学の強みを完璧にマッチさせたことにあります。

彼女は、組織の内部構造や文化を本当に理解するためには、表面的なアンケート調査や経営陣へのインタビューだけでは不十分であると指摘しました。ホーソン実験でワーナーが行ったような、現場に深く入り込み、人々の日常的な実践を観察する「エスノグラフィ(参与観察)」こそが、組織変革に不可欠であることを力強く再提示したのです。

多くのリーダーが、自らのキャリアの総決算を意識する50代。同時に、現場を支える学び直しを求める30代の社会人や、40代のキャリアの岐路に立つ部下たちをマネジメントする立場でもあります。

彼らが「なぜ指示通りに動かないのか」「なぜモチベーションが低いのか」。その答えは、最新のITツールや人事制度のパッケージの中にはありません。Babaが指摘したように、組織の深層に根付く「固有の文化」と「インフォーマルな人間関係」を、人類学的な視点で解剖することからしか見えてこないのです。

3. 産業人類学からビジネス人類学への進化:応用可能性の拡大

Babaの歴史的体系化以降、1980年代後半から現在に至るまで、この分野は「産業人類学(Industrial Anthropology)」から「ビジネス人類学(Business Anthropology)」へと名称を変えながら、劇的な進化と応用範囲の拡大を遂げてきました。

初期のホーソン実験が主に「工場のブルーカラー労働者」を対象としていたのに対し、現代のビジネス人類学は、組織や市場のあらゆる領域へとそのフィールドを広げています。

  • イノベーションとデザイン人類学: 1990年代以降、インテルやマイクロソフト、ゼロックスなどの最先端テクノロジー企業が、こぞって人類学者を雇い始めました。彼らは消費者の自宅に上がり込み、人々がテクノロジーとどのように付き合い、生活空間にどんな「意味」を見出しているのかを観察し、製品開発(UXデザイン)に革命をもたらしました。
  • ホワイトカラーと経営層の文化分析: ウォール街の金融トレーダーたちは、どのような独自の「部族文化」を持っているのか? エグゼクティブたちの意思決定は、いかにして彼ら自身のインフォーマルなネットワークや儀式に影響されているのか。人類学のメスは、工場だけでなく、権力の中心である役員室にも向けられています。
  • グローバル市場とサプライチェーン: 多国籍企業が海外進出する際、本社の合理的なルールが、現地の文化や文脈とどのように衝突し、どう翻訳・交渉されていくのか。異文化マネジメントの壁を越えるための不可欠な知見を提供しています。

つまり、ビジネス人類学は、経営者が労働者を管理・操作するためのツールから、「ビジネスという営みそのものを、人間と社会の複雑なネットワークとして総体的に理解するためのレンズ」へと進化したのです。

創生演習:私たちが提供している「リベラーツ」のプログラムでも、この「進化」の過程を非常に重視しています。なぜなら、私たちが日常的に直面するビジネス課題——「新規事業が顧客に刺さらない」「DX(デジタルトランスフォーメーション)を進めたいが、現場の抵抗にあう」といった悩みは、表面的な事象の背後にある「コンテクスト(文脈)」を読み違えていることから生じているからです。

ここから得られる教訓は、本質的な教養、すなわち「リベラルアーツの意味」を体現しています。それは過去の偉人の知識を暗記することではなく、「見慣れた日常(自社の当たり前)を、見知らぬ部族の儀式のように客観視する」という、強靭な思考のOSを手に入れることなのです。

4. Takeaway:インフォーマルな関係性を読み解く「アンソロ・ビジョン」

今回の歴史の旅から得られる最大の持ち帰り(Takeaway)は、「組織は公式のルールや制度だけで動いているのではなく、インフォーマルな人間関係と暗黙の文化によって動かされている」という事実です。

そして、その見えない構造を明らかにするためには、内部に入り込み、人々の生の声を聴き、彼らの行動の文脈を「厚く記述」するアプローチが不可欠です。ビジネス人類学は、決して新しい流行ではありません。それは、私たちが「人間」という複雑な存在を相手にビジネスをしている以上、永遠に有効な、時代を越えた知恵なのです。

50代を迎え、組織の酸いも甘いも噛み分けてきた皆様にこそ、ぜひご自身の職場を振り返っていただきたいと思います。

  • あなたの組織にも、「バンクルーム」の労働者たちのような、公式の会議では決して語られない「部族の掟」が存在していませんか?
  • 新しいシステムを導入したのに定着しないとき、そこにはどんなインフォーマルな抵抗や、独自の意味づけが隠されているでしょうか。

AIが最適なプロセスを瞬時に弾き出す時代だからこそ、私たち人間に求められるのは、マニュアルからこぼれ落ちる「なぜ?」という問いを立てる力です。過去の成功体験という「名詞(肩書き)」を一度脇に置き、現場でうごめく「動詞(人々の実践)」をフラットに観察できたとき、硬直した組織に再び命を吹き込むヒントが見えてくるはずです。

次回(第3回)は、この人類学特有の「全体(ホリズム)を見る力」が、縦割り(サイロ化)された現代企業をいかに救うのか、具体的な理論と事例を交えて探求していきます。どうぞお楽しみに!

データが語らない「なぜ」を読み解く。ビジネス人類学の視座(Anthro-Vision)を手に入れる

「完璧なデータと論理で提案したのに、現場が動かない」 「KPIは達成しているのに、チームに疲弊感が漂っている」

現代のビジネスが抱えるこうしたモヤモヤは、数字やスプレッドシートの枠内だけで世界を見る「トンネル・ビジョン(視野狭窄)」が原因かもしれません。

本講座では、人類学の最大の武器である「エスノグラフィ」と「厚い記述」の視点を用い、表層的なデータでは見えない消費者の「意味の網の目」や、公式組織図の裏側で機能する現場の「実践知(センスメイキング)」を解読します。

【講義内容(各4週間 ゼミナール)】

・第1回:ビジネス人類学とは何か?〜「Anthro-Vision」の獲得〜

・第2回:消費者と市場の人類学〜「WEIRD」な視点を疑う〜

・第3回:組織の人類学〜公式ヒエラルキーの裏側にある「実践知」〜

凝り固まった思考のOSをアップデートし、本質的な「問い」を立てる力を、まずは無料の体験講座で体感してください。

越境するビジネス人類学:データが語らない「意味」を読む

【連載 第1回】「越境するビジネス人類学」|データが語らない「意味」をどう読むか?——ビジネスと労働の人類学、交差する二つの視座

投稿者

  • 文化人類学者|社会人類学・アクターネットワーク理論

    • 早稲田大学大学院博士課程に在籍中、インドネシアとシンガポールへの留学を経て、文化・社会人類学の研究手法を体得。現在もフィールドワークを重視する研究者として活動。
    • 研究テーマは、東南アジアの国際移民研究から、BBCやNHKのドキュメンタリー番組制作過程の民族誌的研究、沖縄・韓国・マレーシアの民俗服飾の比較研究へと展開。近年は、伝統染織「読谷山花織」を事例に、市場的価値と社会的価値が織りなすネットワークの中で、いかに持続可能な発展が実現されるのかを追究している。
    • 特筆すべきは、コロナ禍でキャリアコンサルタント国家資格を取得した点。人類学者としての視座とキャリア支援の実践知を統合し、沖縄の伝統産業における技能継承や後継者育成の研究にその知見を活かしている。学問と社会をつなぐ姿勢は、リベラーツの理念にも通底する。
    • 主な著書:
      『シンガポール:多文化社会を目指す都市国家』
      『戦後アジアにおける日本人団体』
      『イスラーム事典』

     

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