越境するビジネス人類学:データが語らない「意味」を読む
私たちの身の回りには、最新のテクノロジーが溢れています。AI(人工知能)やロボティクス、IoT機器が日常のあらゆる場面に進出し、「これで生活はもっと便利になる」「人間の面倒な仕事や運転はすべて自動化される」というバラ色の未来予測が日々メディアを賑わせています。ビジネスの現場でも、DX(デジタルトランスフォーメーション)やデータ・ドリブン経営が至上命題として掲げられています。
しかし、現実はどうでしょうか。鳴り物入りで導入された社内の新システムは現場の運用に合わずに放置され、スマートフォンの新しいアプリは使い勝手が悪くてすぐにアンインストールされる。期待された自動運転技術は、「技術的」には高度になっても、「社会的」な実装の壁に直面して各地で足踏みをしている。なぜ、これほどまでに優秀なエンジニアたちが莫大な予算と時間をかけて開発したテクノロジーが、しばしば人間社会との間に激しい摩擦を引き起こすのでしょうか。
その答えは、テクノロジーを開発する側が抱きがちな「致命的な死角」にあります。それは、人間を「マニュアル通りに動く合理的な機械」あるいは、孤立して機能のみを消費する「ユーザー」として無機質に想定してしまうことです。
連載『越境するビジネス人類学』の第6回となる今回は、シリコンバレーをはじめとするIT企業や巨大メーカーの開発現場に潜入し、テクノロジーと人間の交差点をデザインする「人類学者たち」の活躍に焦点を当てます。IBMや日産自動車の研究拠点で活躍した人類学者メリッサ・セフキン(Melissa Cefkin)らがまとめた『Ethnography and the Corporate Encounter(エスノグラフィと企業との遭遇)』(2009年)をはじめとする知見をもとに、AIや自動化の時代において、人間の「不合理性」や「文化的文脈」をシステム設計にいかに組み込むべきか、その実践と葛藤を解剖します。


1. シリコンバレーの人類学者たち:デザインとイノベーションの最前線
「企業で働く人類学者」と聞いて、あなたはどのような姿を思い浮かべるでしょうか。多くの人は、遠い異国のジャングルや未開の部族の村に入り込み、フィールドワークを行う探検家のような姿をイメージするかもしれません。しかし、1980年代以降、ビジネス人類学の最も熱く、そして極めて重要なフィールドのひとつとなったのは、シリコンバレーのハイテク企業の研究所でした。
その先駆けとなったのが、ゼロックス社のパロアルト研究所(Xerox PARC)に集ったルーシー・サッチマン(Lucy Suchman)やジュリアン・オア(Julian Orr)といった人類学者たちです。彼らは、エンジニアが思い描く「理想的なコンピューター・システム」と、人間が実際にそれを使う「現実のオフィスや現場」との間にある、埋めがたいギャップを解明するために雇われました。
エンジニアたちは通常、人間を「情報処理システム」のように見なし、あらかじめ設定された「計画(プラン)」に従って、段階的かつ論理的に行動するはずだと考えます。しかし、人類学者たちが職場で働く人々をエスノグラフィ(参与観察)の手法で詳細に記録・分析すると、まったく異なる現実が浮かび上がりました。人間は、頭の中の計画通りに規則正しく動いているのではなく、その場の「状況(Situation)」や周囲の「文脈(Context)」に依存しながら、臨機応変に、時には即興的に、試行錯誤しながら行動を組織していたのです。

メリッサ・セフキンは、こうした職場における人間の実際の振る舞いを探求するアプローチを「ワーク・プラクティス研究(Work Practice Studies)」と呼びます。セフキンによれば、ワーク・プラクティス研究は、マニュアルや雇用契約によって公式に「処方された活動(work as activities explicitly prescribed)」を見るのではありません。実際に現場で人々がどのような意味を見出しながら「行っている営み(work as doing)」を展開しているのかに焦点を当てるのです。
システムの設計(System Design)への貢献:人間コンピュータインタラクション(HCI)や、コンピュータ支援協調作業(CSCW)の分野において、現場の実際の動きに即した使いやすいITシステムやツールを設計するために活用されます。
不可視な労働の可視化(Making Work Visible):マニュアルや数値データには表れない、熟練者の「目配せ」「阿吽の呼吸」「臨機応変なトラブル対処」といった、組織を支える重要なインフォーマルな実践を捉えて言語化・記述します。
テクノロジーと協働の調和:新しいシステムを導入したことで、かえって現場の人間同士の円滑なコミュニケーションや共同作業が阻害されてしまう現象(テクノロジーの予期せぬ影響)を分析・防止します。
ゼロックスでの成功を皮切りに、Intel、IBM、Microsoftといった巨大テック企業も次々と人類学者や社会学者を雇用し、自社の研究開発(R&D)チームやデザイン部門に組み込んでいきました。彼らの役割は、ビッグデータが弾き出す「定量的な傾向」の死角を補完し、テクノロジーが実際に人々の生活空間や社会関係の中にどのように「埋め込まれて(Embedded)」いくのかを解読することでした。テクノロジーのデザインとは、単なる回路やアルゴリズムの設計にとどまらず、人間の「文化と意味の網の目」そのものを設計する作業であると認識されるようになったのです。
2. 自動運転車は「社会のルール」をどう学習すべきか?(Cefkinの日産での事例)
テクノロジーがいかに高度になっても、それが「社会のなかの人間」と交わる瞬間に生じる摩擦は消えません。その最たる例が、近年急速に開発が進む「自動運転車(Autonomous Vehicles)」です。
IBMなどで経験を積んだ後、日産自動車のシリコンバレー研究所で主幹研究員を務めたメリッサ・セフキン(Melissa Cefkin)は、自動運転車の社会実装という極めて困難な課題に人類学の視点から挑みました。エンジニアたちは、車載カメラやLiDAR(レーザーセンサー)などの最新機器を用いて、障害物とのミリ単位の距離や、信号の赤青、車線の位置といった「物理的・法的なルール」をアルゴリズムに教え込むことには長けています。

しかし、現実の道路空間は、物理的法則と法律だけで動いているわけではありません。たとえば、信号のない四差路の交差点や、歩行者が横断歩道のない道を渡ろうとしている場面を想像してみてください。そこでは、ドライバー同士、あるいはドライバーと歩行者との間で、「アイコンタクト」や「微妙な車の進み具合(ノーズの突き出し)」「手の合図」、さらには歩幅の変化といった、極めて高度でローカルな「社会的交渉」が絶えず行われています。
「お先にどうぞ」「いや、あなたが先に行って」といったやり取りは、交通法規の教科書には載っていない暗黙の了解(社会的沈黙)によって成り立っています。そして、この「間合い」や「阿吽の呼吸」は、国や地域、さらには同じ国内の都市と地方でもまったく異なります。人間にとっては無意識に行っていることでも、機械にとっては計算不可能な「文化」そのものです。
自動運転車が真に社会に受け入れられ、安全に走行するためには、単に「ぶつからないように停止する」だけでは不十分です。それでは、少しでも不確実な状況に陥ると車はフリーズしてしまい、永遠に交差点を進めなくなってしまいます。周囲の人間たちに対して、自分が次にどう動こうとしているのかという「意図」を伝え、人間の歩行者や他のドライバーが抱く「期待」に応え、交渉する能力が求められるのです。
セフキンたち人類学者は、こうした「交差点における人間の社会的相互作用」をビデオで詳細に録画し、エスノメソドロジー的にミクロなレベルで分析しました。人間がいかにして文脈を読み取っているのかを明らかにし、エンジニアたちがアルゴリズムを設計するための「厚いデータ(Thick Data)」を提供したのです。自動運転車は、道路という「社会的な文脈」の中で、他の人間とスムーズにコミュニケーションをとる「社会的アクター」にならなければならない。これこそが、テクノロジーの社会実装において、人間の不合理性や文脈を設計に組み込むというビジネス人類学の真骨頂です。
3. 企業「の」研究と、企業「のなかでの」実践の緊張関係
しかし、このように人類学者がビジネスの開発現場で重用されるようになっても、そこには常に深い葛藤と緊張関係が潜んでいます。セフキンが編著を務めた『Ethnography and the Corporate Encounter(エスノグラフィと企業との遭遇)』は、まさにこの複雑な関係性を正面から問い直した一冊です。
学問としての人類学は伝統的に、対象となる社会や組織を「外側」から客観的かつ批判的に観察する「企業“の”研究(anthropology of business)」を旨としてきました。資本主義の搾取構造や、組織内の権力関係を暴き出すことが、研究者の倫理だとされてきたのです。一方で、企業の内部に雇われた人類学者は、組織の「内側」に入り込み、製品開発やイノベーションという経営目的のために奉仕する「企業“のなかでの”実践(anthropology in business)」を求められます。
企業が人類学者に求めるのは、問題解決につながる「すぐに実行可能なインサイト(Actionable findings)」です。しかし、セフキンが指摘するように、優れた人類学的研究(ワーク・プラクティス研究)は、しばしば経営陣が想定していた「前提の枠組みそのもの」の欠陥を暴き出し、簡単には解決できない根源的な問いを突きつけます。
たとえば、新システムの導入プロジェクトにおいて、人類学者が「現場の従業員がシステムを使いこなせないのは、彼らのITスキルが低いからではなく、システム自体が現場の複雑な状況を無視して設計されており、従業員が独自の創意工夫(ハックや暗黙の助け合い)でシステムの欠陥を必死に補っているからだ」という事実を発見したとします。これは人類学者にとっては素晴らしい「厚い記述」ですが、システムを推進したい経営陣にとっては、自分たちの見通しの甘さを突きつけられる「不都合な真実」であり、簡単にアクション(Actionable)に落とし込めるものではありません。
「企業は人類学の表面的な手法(観察やインタビュー)だけを『つまみ食い』し、都合の良いデータとして消費しているのではないか?」「私たちは資本主義の歯車に加担し、魂を売ってしまったのではないか?」——こうした倫理的なジレンマは、企業内で働く人類学者たちを常に悩ませています。
しかし、セフキンや多くのビジネス人類学者は、この「居心地の悪さ(不協和音)」こそが、企業の中に人類学者が存在する最大の価値だと考えています。組織の論理に完全に染まりきることなく、時に経営陣に対して「サドルの下のイガ栗(burr under the saddle)」のようにチクチクと異論を突きつけ、システムに隠された人間の生々しい現実を可視化し続けること。単なるリサーチャーや便利屋に留まらず、現場と経営、人間とテクノロジーの間を取り持つ「境界交渉人」として振る舞うこと。それこそが、テクノロジーの暴走を防ぐ防波堤となるのです。
4. Takeaway:AIと自動化の時代にこそ問われる「文化的文脈の理解」
AIやロボティクス、アルゴリズムによる自動化テクノロジーがますます社会の深部へと浸透していくこれからの時代、本講義のテーマから私たちが持ち帰るべき教訓(Takeaway)は何でしょうか。
近年、ビジネスの世界では「人間中心設計(HCD: Human-Centered Design)」や「UX(ユーザーエクスペリエンス)」という言葉がバズワードとしてすっかり定着しました。しかし、企業が語る「ユーザー」という概念には罠が潜んでいます。それは、人間を、製品や画面と一対一で向き合う「孤立した、機能のみを求める消費者」として切り取ってしまう罠です。
AIやロボティクスが高度に普及するほど、テクノロジー開発において本当に必要となるのは、人間を単なる「ユーザー」としてではなく、複雑な社会的関係、歴史、文化、感情のネットワークの中に生きる「社会的な人間(Social human being)」として全体的(ホリスティック)に捉え直すことです。
日産の自動運転車の事例が雄弁に語っているように、AIのアルゴリズムがどんなに高速で正確な物理計算を行えたとしても、それが人間の「意味の網の目」や「社会的沈黙」を読み取れなければ、社会のなかで機能することはできません。テクノロジーが高度化し、ブラックボックス化すればするほど、逆説的に「人間とは何か」「私たちの文化はどう機能しているのか」という泥臭く根源的な問いに向き合うことが、企業の競争力を左右する最も重要な要因へと直結していくのです。
ビッグデータや機械学習が「何が起きているか(What)」を前例のない精度で教えてくれる時代にこそ、「なぜ人々はそう振る舞うのか(Why)」「それは彼らの人生や社会においてどんな意味を持つのか」を解き明かす人類学の「眼」が不可欠です。システムを設計する前に、人間の文化的文脈を解読し、設計する。それこそが、AI時代における真のイノベーションの出発点となります。
次回、第7回では、さらに深い現場の実践に迫ります。ゼロックス社のコピー機修理技術者たちの「マニュアル通りに動かない」リアルな労働の実態を描いた、ジュリアン・オアの名著『Talking About Machines』を取り上げます。現場のインフォーマルな「武勇伝(War Stories)」がいかにして組織の知を支えているのか、その秘密に迫ります。どうぞお楽しみに。

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