リベラーツの挑戦と学習ガイド
この記事のポイント
・会議の「まとめますと」は、異なる意見を一つに溶かし、声を消してしまうことがある
・思想家バフチンは、複数の声が溶け合わずに響き合う状態を「ポリフォニー」と呼んだ
・対話の目的は合意ではなく、違いをはっきりさせることにある
1. 「いい話し合いだった」のに、何も残っていない
ある部署で、業務の進め方を見直す会議が開かれました。若手社員は「現場の負担がもう限界です」と訴え、ベテラン社員は「お客様との約束を崩すわけにはいかない」と返し、課長は「とはいえ期限は動かせない」と言います。一時間ほど意見が行き交ったあと、課長がこう締めくくりました。「では、まとめますと、期限を守りつつ、現場の負担とお客様にも配慮していく、ということで」。
全員がうなずき、会議は穏やかに終わりました。けれども翌週、何も変わっていません。若手の「限界」という言葉も、ベテランが守ろうとした「約束」の中身も、まとめの一文に溶けて消えてしまったからです。
心当たりのある方も多いのではないでしょうか。「まとめますと」は、30年の職業生活のなかで何度も口にし、何度も聞いてきた言葉です。場を収め、時間内に会議を終わらせる便利な一言です。立場が上がるにつれて、まとめる役を任されることも増えたはずです。しかしその便利さの裏で、誰かの大切な声が、要約の外に押し出されていることがあります。
前回(第6回)は、自分の経験に名前を付ける技法を考え、その名前は他人に差し出し、問い返されることで磨かれると述べました。今回は、その「差し出し方」と「受け取り方」、つまり対話の作法を考えます。
2. 声が溶け合わない──バフチンの「ポリフォニー」
ロシアの思想家ミハイル・バフチンは、ドストエフスキーの小説を読み解くなかで、「ポリフォニー(多声性)」という考え方を示しました。もとは音楽の用語で、複数の旋律がそれぞれ独立したまま同時に鳴り響く様式を指します。
ドストエフスキーの小説では、登場人物たちがそれぞれ自分の考えを最後まで語り抜きます。作者は、誰の考えが正しいかを判定して物語をまとめることをしません。たとえば『カラマーゾフの兄弟』では、神を疑う兄イワンと、信仰に生きる弟アリョーシャの声が、どちらかに吸収されることなく並び立っています。バフチンは、この「溶け合わない複数の声」にこそ、生きた対話の姿があると考えました。
ここで大切なのは、バフチンが、異なる意見を一つの結論にまとめ上げることを、対話の完成とは見なさなかった点です。声を取り去って一つの結論に詰め込めば、話は整理されたように見えます。しかしそこでは、それぞれの声が持っていた抑揚や事情が失われます。冒頭の会議の「まとめ」は、まさにこれでした。三人の声は、一つの無難な文に溶かされたのです。
バフチンの対話論の土台には、相手は自分とは決して一つに溶け合わない存在だ、という考えがあります。私たちはつい、相手の話を聞いて「分かった」と思った瞬間に、相手を自分の理解の引き出しにしまい込んでしまいます。しかし相手は、いつでも私の要約からはみ出していく存在です。だからこそ、対話は終わらず、私たちは相手の言葉から新しいことを学び続けられるのです。
コラム:ミハイル・バフチン(1895〜1975)
ロシア(ソ連)の文芸学者・思想家。『ドストエフスキーの創作の問題』(1929年、のちに改訂して『ドストエフスキーの詩学の問題』1963年)で、ポリフォニー論を展開した。言葉はつねに他者への応答として生まれるという「対話」の思想は、文学研究にとどまらず、哲学や教育学にも大きな影響を与えている。
同じく対話を論じた思想家に、マルティン・ブーバーがいます。ブーバーは、相手を「それ」として分類・管理するのではなく、「あなた」として向き合う出会いを説きました。相手に耳を澄ますブーバーの態度と、相手の声を自分の理解に回収しないバフチンの態度。リベラーツでは、この二つを、対話の両輪として大切にしています。
3. 「合意しない話し合いは、時間の無駄ではないか」
ここで、当然の疑問が浮かぶでしょう。「仕事では、決めなければならないことがある。合意しない話し合いなど、時間の無駄ではないか」。
この疑問は、半分正しいと思います。期限のある業務では、誰かが決める必要があります。問題は、決めることそのものではありません。違いがはっきりする前に、まとめてしまうことです。
冒頭の会議を振り返ってみましょう。もし課長が「まとめますと」と言う前に、「三人の違いを整理させてください。〇〇さんは現場の負担、△△さんはお客様との約束、私は期限。この三つは、どこでぶつかっていますか」と問いかけていたら、どうだったでしょうか。話はすぐには決まらなかったかもしれません。けれども、少なくとも、何と何が対立しているのかは、全員の目に見えたはずです。
違いがはっきりしていれば、決めるときにも、何を優先し、何をあきらめたのかが分かります。あきらめた側の声も、記録に残ります。反対に、違いを溶かしたまま決めたことは、翌週には誰も覚えていません。合意を急ぐほど、話し合いは前に進まないのです。
リベラーツの対話の場では、この考え方をさらに推し進め、「何も決まらなかった。それが成功である」と考えます。これは怠けることの言い訳ではありません。要約や安易な同意に逃げずに、最後まで違いを聴き合ったことの証しなのです。
4. 自分の経験で試す──違いを残す話し合いの3つの作法
職場の会議でも使える形に、リベラーツの対話の作法を3つにまとめました。
- 「まとめますと」の前に、違いを並べる:結論を出す前に、それぞれの意見の違いを言葉にして、全員に見える形にします。
- 応答を「問い」で終える:相手の考えに応じるときは、断定ではなく問いで終えます。問いを向けるのは、相手の考えの中身や境界です。人柄や動機(「本当は〇〇したいだけでしょう」)には向けません。
- 沈黙を急いで埋めない:誰も話さない時間は、失敗ではありません。相手の言葉を受け止め、自分の考えを見直すための時間です。
2つ目の作法は、言い方を少し変えるだけで試せます。
| 断定で終える応答 | 問いで終える応答 |
|---|---|
| つまり、人手が足りないということですね | 「限界」というのは、どの作業のことを指していますか |
| お客様との約束は、交渉すれば何とかなりますよ | その約束のなかで、絶対に崩せない部分はどこですか |
| 期限があるので、仕方ありません | 期限を守れなかったとき、いちばん困るのは誰ですか |
左の応答は、相手の話を自分の言葉で閉じてしまいます。右の応答は、相手にもう一度語ってもらう余地を残します。問いで終えると、相手の声が要約に回収されず、話し合いの場に残り続けるのです。
5分ワーク
- 最近参加した会議や話し合いを、一つ思い出す
- 「まとめ」によって消えてしまった意見や言葉を、一つ書き出す
- その意見を言った人に、もう一度話を聞くとしたら、どんな問いを向けるかを書く
消えてしまった声は、他人のものとは限りません。会議で言いかけて飲み込んだ、自分自身の言葉かもしれません。評価表や議事録には残らなかったけれど、確かにそこにあった声。この記事の下で紹介している「三列表ワーク」は、そうした声を自分の経験のなかから書き出すための、無料のワークシートです。
5. Q&A
Q. 違いばかり並べていたら、話が前に進まなくなりませんか?
A. 短期的には、時間がかかるように感じるかもしれません。けれども、違いを溶かしたまま決めたことは、後で蒸し返されたり、実行されなかったりします。違いが見えている状態で決めれば、優先したものとあきらめたものが共有され、かえって物事は前に進みやすくなります。急がば回れ、の対話版です。
6. 結び──対話の目的は、違いをはっきりさせることにある
「まとめますと」は、場を収める便利な言葉です。しかし、異なる声を一つに溶かしてしまうとき、そこで失われるのは、一人ひとりの声です。言葉にならなかった懸念や、守りたかったもの。それを抱えた人が、要約の外に取り残されます。
バフチンが示したのは、声が溶け合わないままに響き合う対話の姿でした。対話の目的は、相手を納得させることでも、全員を同じ意見にそろえることでもありません。違いをはっきりさせ、その違いを互いに聴き届けることにあります。次の会議で「まとめますと」と言いかけたら、その前に一度だけ、「いま、何と何が違っていますか」と問いかけてみてください。
次回(第8回、10月20日公開予定)は、時間をテーマにします。「変革の時代だから、過去の経験はもう役に立たない」。よく耳にするこの決まり文句は、本当に正しいのでしょうか。歴史家コゼレックの考え方を手がかりに、過去を読む力が、なぜ未来の判断を支えるのかを考えます。
参考文献
- バフチン,ミハイル,1995,『ドストエフスキーの詩学』望月哲男・鈴木淳一訳,ちくま学芸文庫.
- ブーバー,マルティン,1979,『我と汝・対話』植田重雄訳,岩波文庫.
- 糸林誉史『人文知という第二のOS』リベラーツ叢書、第6章(近刊)
