越境するビジネス人類学:データが語らない「意味」を読む
第3回:トップダウンの終焉と「実践知(フロネシス)」の復権
テーマ:「リベラルアーツとしてのマネジメント」の現代的再生
前回の第2回では、組織が可視化と統制を強めれば強めるほど、労働者は自己防衛のために「知らないふり」や「はぐらかし」という日常的抵抗(知識の隠蔽)を精緻化させていくという、手痛い「管理のパラドックス」について論じました 。その一方で、トップダウンで押しつけられた不完全なシステム(Buildingモード)の欠陥に対し、現場の労働者たちが手元にある資源を即興で寄せ集める「ブリコラージュ」によって業務を現実に機能させている実態 ―― 「ワークアラウンド(日常的なやり過ごし)」 の痛快なダイナミクスを解き明かしました 。
連載の最終回となる第3回は、これまでの議論をさらに高い視座へと引き上げます。私たちが日々の業務で無意識に、あるいはしたたかに行っている「やり過ごし」や「現場の工夫」の背後には、実は西洋哲学の源流から続く壮大な思想的ドラマが隠されています。
40代・50代を迎え、組織におけるキャリアのプラトー(停滞感)や、システムの一部に回収されていくような閉塞感を覚えているすべての中高年ビジネスパーソンへ捧げます。数値化とマニュアル化に溺れる現代のデータ至上主義を批判的に乗り越え、ピーター・F・ドラッカーが一貫して唱え続けた「リベラルアーツ(人間学)としてのマネジメント」 を私たちの手に取り戻すための、思想的実践への旅に出かけましょう 。
1. 理論の深層:会議室の「構築」と現場の「居住」 ―― Strategy-as-Practice学派が暴く傲慢
20世紀後半から現代に至るまで、戦略経営論の世界はマイケル・ポーターに代表される「ポジショニング派」や、ジェイ・バーニーらに代表される「資源ベース観(RBV)」という2大パラダイムによって主導されてきました 。これらは、組織を外部環境に対して最適配置されるべき「客観的なシステム」として捉える思想です 。
しかし、現代の批判的経営学(Critical Management Studies: CMS)や、経営人類学の最前線である「実践としての戦略(Strategy-as-Practice: SAP)」 学派の継承者たちは、こうした従来の戦略論が内包する致命的な欺瞞を暴き出しています 。
マルティン・コーンバーガー(Martin Kornberger)やスチュアート・クレッグ(Stewart Clegg)らは、ミシェル・フーコーの「権力/知識」の議論に立脚し、戦略や管理システムを「客観的現実を映す中立的な鏡」とは見なしません 。それらは、独自の言説的・物理的実践を通じて、管理者が望む通りの客観的現実を事後的に捏造し、労働者の日常行為を特定の形態へと強制的に「曲げていく」ような行為遂行性(パフォーマティビティ)を持った統治装置である、と定義したのです 。
こうしたマクロな統治機構の作動と、現場における行為主体性(エージェンシー)との摩擦を現象学的な深度において定式化したのが、ロバート・チア(Robert Chia:グラスゴー大学)です 。チアはマルティン・ハイデッガーの存在論を召喚し、組織空間における2つの本質的モード ―― 「構築(Building)モード」 と 「居住(Dwelling)モード」 の二元論を対置しました 。

Strategy without Design: The Silent Efficacy of Indirect Action 2009
- 「Building(構築)モード」:経営陣やシステム設計者、コンサルタントによるトップダウン的、道具主義的、かつデカルト主義的な主客分離を前提とした設計思想 。組織を外部から俯瞰可能な客観的システムとしてマッピングし、標準プロセスの設計やKPI、ナッジ、デジタル監視システムを用いて、労働者の行動をあらかじめ意図した方向へと整列(アライメント)させようとするマクロな「統治の視線」を象徴します 。
- 「Dwelling(居住)モード」:システムや標準規格の外部、すなわち最前線の労働現場で現実に生きる労働者たちが、状況の中に深く没入し、埋め込まれた状態で生きる「世界内存在」としての実践様式 。
中央の会議室で「Buildingモード」によって設計された美しい青写真は、複雑で流動的な現実の現場に持ち込まれた瞬間、必ず深刻な不適合(Misfit)と摩擦を引き起こします 。現場の労働者はロボットではありません 。彼らは日々、その不完全な仕様に直面しながら、現地の文脈に合わせて自律的にそれを「翻訳」し、手元にある資源を即興的に流用するブリコラージュやワークアラウンドによって、システムの欠陥を代償的に補完しているのです 。
私たちが職場で「マニュアル通りにはいかないから、とりあえずこうして帳尻を合わせよう」と泥臭く立ち回っているその瞬間、私たちはシステムの単なる入力代行者ではなく、「Dwellingモード」を生きる動的な行為主体(エージェンシー)として、組織を背後から密かに支えているのです 。
2. ドラッカー思想の核心:人間学としてのマネジメントと「真摯さ」という防壁
こうした「Buildingモード」による数理的管理の暴走を、ドラッカーが知れば何と言ったでしょうか。
現代の多くの企業において、「目標管理(MBO)」は単なる個別目標の設定と、それに基づく期末の人事査定のための機械的なツールへと矮小化されています 。しかし、ドラッカーが1973年の代表的大著『マネジメント:課題・責任・実践』原典において提示した本来の思想は、まったく異なる地平にありました 。
1909年にウィーンで生まれたドラッカーは、1933年のヒトラー政権成立を受けて中欧の政治的危機と全体主義の台頭を肌で経験し、イギリスを経てアメリカへと渡りました 。彼にとってマネジメントとは、単なる企業の効率化や利益最大化のための「無機質な科学」ではありませんでした 。制度が成果を出せず、責任を果たせなくなれば、絶望した大衆は強権的な統制(全体主義)を求めるようになる 。だからこそ、全体主義に対抗しうる「機能する自由社会」を維持するために、強く、責任ある、自律的な制度設計が必要である ―― これがドラッカー思想の基層にある切実な問いだったのです 。
1940年代のジェネラル・モーターズ(GM)の調査をもとに著した『企業の概念』以降、彼は大企業や公的機関を単なる資本の集合ではなく、近代社会を構成する「社会制度」として捉えました 。

ドラッカーは、働くこと(労働)に伴う5つの次元を定義しました 。
- 生理的な次元:スピード、リズム、持続力の個人差 。
- 心理的な次元:働くことは重荷であると同時に本性であり、自己実現の手段 。
- 社会的な次元:職場コミュニティにおける人間関係と身分 。
- 経済的な次元:生計の維持と生み出される経済的価値 。
- 政治的な次元:組織における権力関係と職務の割り当て 。
彼は、エルトン・メイヨーらの「人間関係論」が、職場における葛藤や不満の原因を労働者の「主観的な適応障害」にすり替え、共感という美名の下で労働者の感情や動機(内面)を操作・調整しようとする狡猾な「心理的支配」のテクノロジーであるとして、激しい道徳的拒絶を示しました 。
「手だけを雇うことはできない、人間全体がついてくる」という人間関係論の美辞麗句の裏で、主観性そのものを組織目標へと植民地化しようとする権力の濫用に対し、ドラッカーは冷徹な「成果」の要求を対置したのです 。近代の雇用契約とは、提供された客観的な労働成果に対してのみ対価を支払う限定的な事務関係でなければならない 。組織が労働者の私的生活や性格、忠誠心といった「人格そのもの」を要求・改造することは許されない 。成果を測定するという一見して無機質なインフラこそが、労働者の魂を組織の権威主義から守るための「人格の防壁(bulwark)」となる ―― これがドラッカーの倫理的管理論のスタンスでした 。
それゆえに、ドラッカーはマネジメントに携わる人間に、単なるスキルを超えた絶対的な資質を要求します。それが、「真摯さ(Integrity / Character:品性・誠実さ)」 です 。
「いかに知識があり、聡明であって上手に仕事をこなしても、真摯さに欠けていては組織を破壊する。組織にとってもっとも重要な資源である人間を破壊する。組織の精神を損ない、業績を低下させる。自らの仕事に高い基準を設定しない者もマネジャーに任命してはならない」『現代の経営』
- 人の強みではなく「弱み」に焦点を合わせる者
- 「何が正しいか」よりも「誰が正しいか」に関心を持つ者
- 「真摯さ」よりも「頭脳(頭の良さ)」を重視する者
- 有能な部下を恐れる(自分の地位が脅かされると怯える)者
- 自らの仕事に「高い基準」を設定しない者
- 冷笑的(現実的でない皮肉屋)な態度をとる者
※ この思想は現代のビジネスにおいても、企業の「コンプライアンス遵守」や「心理的安全性」を確保するための普遍的な人事原則として高く評価されています。
現代の「数値の檻」や「ナッジ管理」による内面の操作は、ドラッカーが最も嫌悪した心理的支配の極限的な洗練化であり、マネジメントの真摯さの欠如に他なりません 。この硬直化したシステムに対し、最前線の Dwelling モードから立ち上がるのが、人間の肉体知による反乱 ―― ワークアラウンドなのです 。
3. 哲学の復権:ワークアラウンドに宿るアリストテレス的「実践知(フロネシス)」
前回の第2回でご紹介した、現場の生々しいワークアラウンドの数々 ―― システムの仕様を無視して「コメント欄」をプロセス連携のコントロールハブとして流用したり、自動削除プログラムの暴走から同僚の居場所を守るために「一時無効化(Deactivate)」のステータスに留め置いたり、正規雇用者しか登録できない硬直したシステムを諦めて「旧来のPDFリスト」で非標準要員のオンボーディングを完結させたりする行為 。
これらは単なる場当たり的な「規則違反」や「サボタージュ」ではありません 。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、人間の知徳(知的な卓越性)をいくつかの類型に分類しました。現代組織のあり方をこの哲学のレンズで脱構築すると、極めて鮮烈な構造が浮かび上がってきます。
- エピステーメー(Episteme):普遍的、不変的、論理的な「科学的知識」。現代のデータサイエンスや数理的経営分析がこれに該当します。
- テクネー(Techne):マニュアルや設計図に基づいて均一な物品を製造する「制作・技術の知」。業務プロセスの標準化やITシステムのプログラミング、効率的なマニュアルの忠実な再現がこれにあたります 。
- フロネシス(Phronesis:実践知):不確実で絶えず変化し続ける具体的な文脈において、「人間にとって何が善であるか」を正しく判断し、その場において最適な行動を選択して実行する個別的な「実践の知恵」。
現代のデータ駆動型マネジメント(Buildingモード)は、「エピステーメー」や「テクネー」を狂信的に推進し、すべてを定量的な数値と画一的な入力フォーマットの格子(檻)の中に押し込めようとします 。
サンダー・メルクス(Sander Merkus et al., 2019)らによるオランダ鉄道(ProRail)のエスノグラフィー研究は、この画一的コントロールの網の目が现场の生きた知をいかに侵食するかを鮮やかに描き出しています 。列車の運行効率化のために導入された新システム「WebRail」は、オペレーターに対し秒単位での登録完了と厳格な定量的KPIを突きつけ、未入力の欄をオレンジ色の必須枠で明滅させて入力を半強制的に制御しました 。

その結果、現場からは「プロセスは詳細で複雑になったが、必要な知識(職人技としての暗黙知)は少なくなった」という怒りと絶望の声が噴出しました 。さらに凄惨な人身事故の現場に直面し、精神的に動揺した現地職員から電話口で泣きながら聞き取りを行わなければならない極限の状況においてすら、システムは「寄り添いや共感」の対話を許さず、無機質な事故原因コードや座標データの入力をオレンジ色の必須枠で要求し続けたのです 。
現場の労働者たちは、単にロボットのようにシステムに従属すること(Techneの盲従)を拒絶しました 。彼らはヴィダール・バケリとエリック・ブライト(Vidar Bakkeli & Eric Breit, 2022)が定式化した「Making it work(どうにかして現実に機能させること)」 のエージェンシーを発揮し、自らの職業的専門知識やコモンセンス(共通感覚)を動員して、抽象的な正論(what works)を現地のドメスティックな文脈における「善」へと絶えず置き換えていったのです 。
融通の利かない画面の背後で、凄惨な状況にある同僚の感情を受け止め、かつ列車の運行を破綻させないよう裏側で密かに帳尻を合わせる行為 ―― これこそが、押しつけられた形式的ベストプラクティスの不適合を肉体知で察知し、その場における最善の「善」を直観的に救い出す、アリストテレス的な「実践知(フロネシス)」 の鮮やかな復権に他なりません 。
4. 40代・50代の「自己管理(Managing Oneself)」:組織の論理からの脱却と知的貪欲さ
連載のターゲットである40代、50代の社会人の皆さん、今おられる場所を振り返ってみてください。組織の評価システムを必死に内面化し、システムが求める数値(KPI)を達成することだけにエネルギーを費やし、自らの主観性を企業目標へと適合(アライメント)させ続ける日々に、本質的な「働きがい」や「自己の尊厳」はあるでしょうか 。
ドラッカーが知識労働者のキャリア論として提示した究極の結論は、組織の論理への盲従からの脱却です。肉体労働者の寿命よりも、自らの頭脳に生産手段を持つ知識労働者の寿命のほうが遥かに長い 。組織の寿命(平均30年程度)に対し、知識労働者としての私たちの労働寿命は50年に及びます 。もはや企業は、個人のキャリアを最後まで面倒を見ることはできないし、その能力もありません 。
だからこそ、40代以降の私たちは、組織への依存から自律的に脱却し、変化の激しい時代において自らを継続的に刷新していくための強烈な「自己知(Self-knowledge)」 を確立しなければならないのです 。
ドラッカーが自身に課し、すべての知識労働者に求めたのが、宗教的精神史の実践に立脚した「フィードバック分析(feedback analysis)」 です 。
過去の重要な意思決定を行う際、自らが期待する結果をあらかじめ書面に記録しておく 。そして9ヶ月後、あるいは1年後に、実際の結果と期待を照合し、自らの真の「強み」と、自らの「認知スタイル(読者型か、聴者型か、あるいは書くことで学ぶのか、喋ることで思考するのか)」を冷徹にマッピングするのです 。
独自のインフラ(自己知)を欠落させたまま、他人のスタイル(組織が求める画一的な型)を真似ようとすると、激しいアンダーパフォーマンス(不成果)と実存的な危機に直面します 。ドラッカーが挙げたアイゼンハワー大統領の悲劇 ―― 連合国軍最高司令官時代は卓越した「読者」として書面を精査して成果をあげながら、大統領就任後は Roosevelt や Truman という前任の「聴者」のスタイルを盲目的に模倣し、記者会見で即興の口頭ブリーフィングに応じようとした結果、支離滅裂な印象を与えて深刻な政権危機を招いた逸話は、私たちに重い教訓を与えてくれます 。
40代・50代の極意とは、会社というシステムが敷いた「 Building 的な評価軸」への過度な依存を峻拒し、自らの強みと価値観を再マッピングすることにあります 。
「自分は何をもって覚えられたいか(What to be remembered for)」という実存的な問いを自らに突きつけ、会社という狭い箱に植民地化されないパラレルキャリアや新たな継続学習の計画を、自らの「意志」で構想する覚悟を持たなければなりません 。
5. 総括:リベラルアーツとしてのマネジメントの現代的再生
本連載が3回にわたって追究してきたのは、現代の高度資本主義組織における「自律」の要請がいかに精緻な支配テクノロジー(ナッジや常時監視)へと反転し、それに対して現場の行為者たちがどのような日常的戦術(ワークアラウンド)をもって人間の尊厳を守っているかという、支配と抵抗の動態的トポロジーでした 。
ここで私たちが到達した最大の結論は、数理的管理駆動のマネジメント(Buildingモード)の限界と、「人間学としてのリベラルアーツ(実践知)」 の圧倒的な勝利です 。
データ駆動型組織は、一見すると合理的で客観的な組織編成を実現しているかのように見えます 。しかし、そのコントロールの網の目は、最前線のフロントラインにおける生きた暗黙知や職人技を徹底的に去勢し、濾過してしまいます 。さらに、過度な管理的測定は労働者に構造的ストレスを強いることで、「 Playing dumb(知らないふり)」などの巧妙な日常的抵抗(知識の隠蔽)を誘発し、組織の生命線である知の流動性を麻痺させるという痛烈なパラドックスを引き起こすのです 。
今、現代組織の最深部で生じているのは、数理的管理の「不適合」を埋め合わせるための、名もなき労働者たちによる終わりのないワークアラウンド(居住実践)の堆積 ―― 「ワークアラウンド・スタック」 の形成に他なりません 。システムが完全な破綻を免れ、組織が現実に駆動しているのは、マニュアルを盲従するAIのような存在によってではなく、私たちが自らの身体化された「実践知(フロネシス)」を動員して、不融通な仕様をサボタージュし、代償的に補完しているからなのです 。
今後の経営学、そして組織のガバナンスが目指すべき使命は、中央の管理者が構築した「支配のレトリック」を洗練させることではありません 。むしろ、過傲な Building モードの介入によって生じる摩擦とパラドックスを冷徹に暴き出し、労働者がワークアラウンドを通じて紡ぎ出す即興的な適応の実践を記述・公認し、組織の健全な自己変革の源泉(生成的メカニズム)として包摂することにあります 。
読者の皆さん、会社という数値の檻に、あなたの魂や人格までを渡してはなりません 。あなたが日々の不条理なシステムに対して繰り出している小さな「やり過ごし」や、マニュアルの隙間を埋めるための「独自の工夫」のなかにこそ、組織社会における個人の尊厳と、ドラッカーの説いたリベラルアーツとしてのマネジメントの未来が宿っているのです 。
ドラッカーが遺した未完の宿題 ―― 「知識労働者が真の自律性を持ち、自己実現を果たす社会の実現」を引き継ぎ、体現していくのは、他ならぬ、自らの現場でフロネシスを紡ぎ出し続ける私たち自身なのです 。
(連載完結)

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